リレーマラソン

毎年この時期に行われる「富山あいの風リレーマラソン」は、富山市の富岩運河冠水公園という、”富山にこんなおしゃれでキレイなところがあった?”と言ってしまうような(富山のみんなゴメンなさい)、美しい水辺の一周2km余りの特設コースをチームで20周走ってタイムを競うイベント。20人で1周ずつでも、ひとりで20周でも良い。全体で500チーム近くが参加するという、富山ではかなりメジャーなイベントらしく、今年で3年連続3回目の出場となる我等TSSは、参加者多数のため、去年から2チーム体制でレースに参加している。

駅伝のように襷を繋ぐリレーマラソン。気付かされるのは、チームで走っていると、ひとりで走るよりもパワーが湧いてくるということ。本当に。

一応、事前に少しだけトレーニングをした。普段は10km程度の距離を1kmあたり5分15秒くらいのペースで走っているが、2週間くらい前から、4km位の距離を少し速めのペースで走って、2kmに慣れる練習をした。そのときのタイムは、どんなにがんばっても4分58秒/kmで、5分を切るのが精一杯だった。だから今回の2.08kmのコースは10分切れれば上出来である。

自分は第6走者だった。中継地点は人が大勢で、何だか観られている気分(実際は誰も気にしちゃいないけど)になるし、襷を受けると、プチ箱根な感じで気分が昂ぶって、つい速く走りたくなってしまうから、いつも超オーバーペースでスタートする。数百メートル走ると、もう観られていないという気の緩みと、オーバーペースのツケで、すごくペースダウンする。しかし1km位のところに陣取っているTSSの皆の前では、カッコつけなきゃいけないので、またペースアップする。そして残りの1kmはほとんど地獄。、特に1.7kmくらいのところにある短い上り坂とヘアピンが効く。次のランナーの森村くんに繋ぐころは、もう喘息気味だ。

ここはみんなの前でがんばってるところ。

で、1周のタイムは9分15秒程度だった。1kmの平均ペースは4分20秒くらいか。信じられない。自分がまだそんなに速く走れるとは思ってもいなかった。ひとりで走るのとは全然違う次元のスピードだった。人のパワーとは本当に凄いものだ。次の出番もたぶん同じくらいのタイムで走れたと思うし、3周目はアンカーを務め、ゴールを切らせてもらった。みんなありがとう。

アンカーの醍醐味は、もちろんゴールだけれど、それだけではない。自分達より速いチームはもうとっくにゴールをしているので、アンカーの周は自分より遅いランナーばかりが走っていて、追い抜くことはあっても、まず抜かれない。負けず嫌いの僕にとって、こんな爽快なランニングはない。

感動のゴール!でもピンが合ってないぞ、カミツボ!

7人で走ったタイムは3時間5分44秒。フルマラソン総合部門378チーム中56位、職場部門では165チーム中23位。惜しくもサブ3に届かず。全員の平均で4分24秒/kmだ。あと8秒/km縮めればいい計算。でも、4分16秒って、スゲー速いよ。みんなも速かったんだなー。来年の目標は当然サブ3。そうすると、職場部門のトップ10も見えてくる。でも、結構マジトレが必要だ。自分としては1周8分台を目標にしないとね。

こうして休みの日に、社員のみんなとチームイベントに参加するのは、格別な気分だ。今年は、昨年に続いて最高のランニング日和。公園内の芝生に陣取った我々は、家族で来てくれる社員もいて、半分ピクニック気分。ホントはビール飲みたいけど走れなくなるから我慢。下らないバカ話でも、こういうときにみんなと話ができるのは、すごく嬉しいし、みんなの色々な面を見れて楽しい。

あービール飲みたい!

参加者は自分も入れて18人。20代7人、30代8人、40代3人という構成だ。イベントの性格上、若い人が参加する傾向が強いのは当たり前だが、7年前に自分が入社したときのことを考えると、信じられない若返りだ。ちなみに自分が入社した後に入ってきた”後輩”の参加者は18人中9人だ。これもまた信じられない。

終わった後は皆で焼肉。これも半ば恒例化している。走った後の水分補給を必要最小限にしておいて、一杯目のビールまで我慢する。これ格別。だけど、乾ききって吸収する身体は、アルコールの廻りが早く、すぐに酔っ払う。で、へべれけになりながら皆と話せるのも楽しい。同じゴールを目指して走った人が持つ、見えない共通点が、雰囲気をさらに高める。

一杯目のビール効きました。

こういう活動は、社内の色々なところで増えて欲しいと思う。この前、ぶどう狩りにも誘ってもらったが、そちらは残念ながら都合で欠席してしまった。約50人も参加したと後で聞いた。素晴らしいと思う。僕らの仕事は1台のマシンや1個のコネクタをみんなで作るチームワークで成り立っている。仕事場だけでは作れない、大事なつながりがこういう時にできる。会社としても個人としても、こういうイベントを積極的にサポートしていきたい。

最後に記念撮影

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りんごに恋して その2

(前回から続き)
そして2007年7月、ふたたびリンゴちゃんに恋してしまう。初代iPhone の登場だ。
本気で欲しかったけど、当時の日本は、PDCという通信方式を採用する世界で唯一の国で、そのiPhoneが使えるのは世界標準のGSM方式を採用している日本以外の国々だけだった。それでも買いたいと思ったけど、さすがに電話として使えない携帯電話は持てなかった。

翌年iPhone 3Gが発表されると、いてもたってもいられなくなったが、並ぶのだけは何故か自尊心が許さず、予約したSoftbank大森店からの電話を首を長くして待った。結局手にしたのは、発売日から1週間後だった。モノを買ってあんなに感動したことは、その昔Alfa156が納車された日以来のことだ。まず、パッケージが凄い。箱はもちろん、梱包資材まで、見た目と材質に、コストが許す範囲でとことんこだわっている。重箱のように重なっていて、本体が美しく見えるようにフィルムで梱包されている。素晴らしいモノを購入した人にとって、それを開封するという行為がひとつの儀式であることを理解し、その喜びを演出するためにとことん考え尽くされているのである。たぶん。

外観や機能については、もはや言うまでもない。すべてのアップル製品に共通した、ハードとソフトに対するデザインへのこだわりは、クレイジーというしかなく、モノを作る会社の社長として、感服してしまう。未来のTSSにとっては、パクりどころ満載だ。素晴らしい。

iPhone4は現在ある工業製品の中でもベストと言えるほどデザインとして完成していると思うし、MacBook Airのユニボディは、他のラップトップと比較するのがバカらしくなるほど美しい。特に凄いと思うのは、Jobsさんはよっぽど穴が嫌いだったのだろう、どの製品にも冷却のための通気孔が開いてない。よって面の連続性が保たれて、シンプルでソリッドなビジュアルが際立つ。ただ外観だけでなく、触ったり、持ったり、閉じたり、押したりするときの質感とビジュアルが所有することを誇りに思わせてくれる。もう参りました。

iPhone 3Gでりんごちゃんと復縁した僕は、iMac、iPad、MacBook Pro、iPhone 4、MacBook Airと、飲み代以外のお小遣いは、ほぼすべてがApple社の売上げの一部となった。Appleから新製品が出る度にワクワクさせられ、Jobsさんの術中に面白いようにハマっていった。ハマっているのが気持ち良いのだ。この恋は本物だった。

見た目が美しく、手に取ると気持ちよく、起動すると昂り、使うと楽しい。同じモノづくりをする者にとって、いつも手本だと思っていた会社、Apple。そして、本物を作ることにこだわり続けたSteve Jobs。彼はあまりにも速く、時代が彼に追いつけなかった。彼は最速の壁を常に突き破り続けた末、最後にはこの世を去るという選択肢しかなかったのかもしれない。モノづくりの会社の経営者として、彼の残したメッセージをどう受け継ぐのか。今は、彼に強烈な宿題を出された気分だ。

本当に美しい

リンゴに恋して

僕がリンゴちゃんと最初に出会ったのは、20年以上前の1989年9月のこと。

アメリカはオレゴン州ポートランドにある小さな大学Lewis & Clark Collegeの図書館だった。英語学校の授業にタイピングクラスがあり、その教室となる図書館に、かなりのスペースを割いて数十台のMacintosh SE/30が置いてあった。日本の大学で、コンピュータなど触ることがなかった僕にとっては、かなり衝撃的だった。

電源を入れると、あの「ボーン」という音が鳴り、しばらくすると、現在のすべてのGUIの原型ではあるものの、まだモノクロで解像度の粗いデスクトップ画面が現れる。アメリカの大学では、宿題、提出レポート、卒論、すべて手書き禁止。タイプされた文書提出が義務で、フォントの種類、大きさ、行間まで指定されている場合もあった。そういうこともあり、日本でPCがほとんど普及していない当時、寮に住むほとんどの学生がMacを持っていて、友達のMacを借りては、レポートを書いた。「コンピュータって結構使いやすいんだ。」と思った。僕のアメリカ留学とMacは切っても切れない縁となった。

ちなみに、翌年受講した統計学のクラスでは、Windows3.1で動くLotus123を使う必要があったため、図書館の別の一角にあるIBMを使ったが、MS DOSを知らないと起動することができない上、確かマウスもなかったので、すごく面倒だった。「やっぱり”普通の”コンピュータは使いにくんだ。」と思った。

92年の帰国からしばらくしてWindows95が大々的に発表された。初めて見たとき「これMacのコピーじゃん」と思った。でも、それ以降、Windows OSがコンピュータを支配し始め、その後しばらくの間は、出版や映像などの業種にでも属さない限り、Macを使う理由がなくなっていった。というか、Windowsを使っていないと、仕事ができなくなっていった。大好きだったリンゴちゃんに会う機会はほとんどなくなっていった。

Jobsさんが復帰をし、iMacで復縁も考えたが、蓄積されたWinのデータが恋路を邪魔した。ビジネスは、まだまだWindows中心で、Mac用にソフトを買うのもしんどかった。しかし、ちょうど僕が現在の会社であるTSSに入った頃、iPod Nanoを購入した。理由は走るため。シューズにNike+のチップを入れて、大好きな音楽を聴きながら走っていると、時間と距離とペースを教えてくれた。感動した。でも恋ではなかった。
(その2につづく)

懐かしいな〜 Macintosh SE/30