2回目の東京マラソン

さて本番がやってきた。

まずスタートは、9:10AM。で、荷物を預けるのは8:30AMまでとか、スタート位置につくのは8:45AMとか、結構細かく決まっている。4万人もいるので大変。トイレもかなり並ぶ。しかも朝なので”大”の方も多く、”小”のために”大”待ちで30分も並び、スタート位置につくのがギリギリになった。荷物番をしていてもらった会社のOさんにも迷惑をかける。ゴメンなさい。

スタート位置は申告タイムや持ちタイムで、先頭のAからKまでエリア分けされており、前回の4時間31分を高く評価された僕は、前回のEブロックからGブロックまで2つ降格。ふざけるな!

後ろで嫌なことは、混んでしまうことと、公式タイムが悪くなること。自分自身の記録としては、スタートラインを切ったところからの非公式Netタイムで良いのだが、今後の大会などの参考になる正式な記録として残るのは公式Grossタイムで、オフィシャルタイマーがスタートしてからの時間である。後ろになれば、当然スタートまでにくる時間がかかってしまう。

すごい人でしょ。先に小さく見える信号を左折して、その先にまだ2万人くらいいます。

スタートでは緊張していなかった。早くスタートしたかった。寒い中、30分近く待たされるので、またトイレに行きたくなり、スタートのフェンスを乗り越えて、トイレへ走る。そこでiPhoneを落としてガラスを割る。悪運を先に落とした、とポジティブ解釈。

スタートまではヒマ。都庁をバックに一枚。これは携帯を落とす前。

9:10AM、大きな号砲が辺りに響く。しかし、僕のまわりはちっとも動かない。1-2分してやっと動き出す。スタートまで800mくらいはあっただろうか、走り出す気配は一向になく、歩いたままスタートラインまでたどり着く。石原都知事に見送られ、9分半かかってスタート。

スタートをすると、さすがに走り始めた。しかし遅い。すごい人混みと、スタートまで暖をとるためのカッパやビニール袋が捨ててあるのが邪魔で、なかなか前へ進めない。左右に進路を変えて前を目指す。体力を消耗するのはわかっているけど、そうしないとペースが上がらないのだから仕方がない。

調子悪し。ペースは5’25″/kmから上がらない。予定は5’15″/kmだったから1kmで10秒。42kmで7分。これは痛い。でも無理に上げられない。

泉岳寺で家族や社員に見送られ、少し気持ちよく走れるようになる。ハーフの距離になる日比谷でも疲れはない。反対車線には、浅草から折り返してきたトップランナー達が、すごい速さで反対車線を駆け抜けて行く。

去年は、屈辱の雷門だった。28km地点のここで脚が動かなくなって、サブ4が無理だと悟った。30kmで止まってストレッチ。そこからは1kmおきに止まってはストレッチ。情けなかった。今年の雷門も30kmも去年とは違うけど、やはりここからキツくなり始めた。それまで気にならなかったキロ毎に出てくるkm表示ボードが待ち遠しくなる。

30kmでタイムは5’40″/km付近まで落ち、脚も重くなる。「あれ?練習の時よりキツいな」というのが実感。今年の一つの課題だった、30kmからを楽に走り、一番人手の多い銀座を気持ち良く走る、とはいかず。34kmの銀座四丁目左ターンでは、顔が歪み始めていた。そのあたりにいた会社のGさんのカメラにはどんな顔で写ったのだろう。

34kmは、こんな顔でした。やっぱり歪んでる。

36kmで今大会最大最長の佃大橋の坂を越え、37.195kmの「あと5km」表示で、3時間27分。脚は棒で、頭もボーっとし始める(オヤジギャグ炸裂!)。今すぐ止めたかった。もう6’00″/kmペースは維持できていないのはわかっていたし、ここから2次曲線的にペースが落ちる。残りをキロ6分半のペースで行かなければサブ4はない。絶対に止められなかった。

40.195km「あと2km」で3時間46分。止まらなければ行けると確信する。でも、そこからの2kmは長い。極めつけは41kmのなだらかな橋での上り。もうやめてー!って感じ。でも、去年とは違う。上り坂も何とか脚が前に進む。沿道から「辛いのはみんな一緒だ!もう41km走ったんだよ!あと1kmが何だ!」って言われる。スゴい励まされた。

最後の右ターンを曲がってフィニッシュのゲートをくぐる。3時間58分32秒、公式タイム4時間7分53秒。ギリギリでサブ4達成。

これまでもそうだけど、設定した目標を達成したときって、実は感激とか感動がない。何てつまらん奴だと思う。どうも、やって当たり前だと思っている節がある。これは長いプロセスの一過程だから、感慨にひたってる場合じゃないと、また次の何かを探してしまう。

この次?トライアスロンをやりたいと思っていたけど、家族から猛反対されてるし、もともと走るの嫌いと言っているから、サブ3.5なんて辛くてイヤだ。何もしていないと苦しくて死んでしまう性分なので、何かをすると思うし、嫌いだけど走るのは止めないと思う。
さぁて、何をしようか

応援してくれた皆さんありがとう。ずっと励まし続けてくれ、命の水を与えてくれたボランティアの皆さんありがとう。沿道の声援にもありがとう。そしてサポートしてくれた家族に感謝。本当にありがとう。

リベンジ完了。

ゴール後に有森さんと。去年も撮らしてもらいましたが、今年は去年の雪辱ができたと報告。喜んでくれました。本当に素晴らしい人です。何だかつきあってるみたいでしょ、この写真。

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東京マラソンプロジェクト Vol.2 〜 リベンジ 最終回

いよいよ明日。
屈辱の4時間31分から、そして30km地点の悪夢から、363日。
やっと借りを返す時が来た。

思えば、サブ4を公言しておきながら、4時間31分の大惨敗になってしまったことをチャリティーランナーの受付が2ヶ月前だったとか、直前にインフルエンザにかかったとか、他人のせいにしていた。常にトレーニングをしていれば、2ヶ月前からでも準備はできただろうし、インフルエンザは、自身の健康管理の問題だ。はっきり言って言い訳である。それを自分の心は知ってるから、すごく気分が悪かった。

明日はそれを晴らす日だ。
トレーニングは十分じゃないかもしれないけど、限られた時間の中で、ひとかけらの自信をつけるまでにはなった。年末からほぼ毎週、”世界一痛い整体” を受け、動かない身体なりに状態を保ってきた。今年もまた一ヶ月前に風邪をひいたが、3日で去った。

明日の天気予報は晴れで、最高気温11度。さあ条件はすべて整った。
あとは走るだけ。

ドキドキするなー

"Back With a Vengeance"「復讐のために戻ったぜ」今回の雪辱戦のためにあるかのようなTシャツで明日走る。

東京マラソンプロジェクト Vol.2 〜 リベンジ その6 掟破りの・・・

どうしても納得したかった。
3週間前を切ってからの長距離トレーニングは、良くないと言われているのを知っている。でも、先週のトレーニングの惨憺たる内容に、セオリー無視を決めるしかなかった。何しろ、病み上がりで挑んだ「最後の」長距離練習は、20kmまでしか走れず。さらに、その3日後に挑んだ35kmは、19.5kmでリタイア。理由は二日酔い。

そして迎えた2月11日建国記念日。旗日はやっぱり皇居でしょ、ということで、掟破りの2週間前長距離走へ。目標は35km。思い起こせば、1月9日。練習ランでフルを走り、完全な自信を身につけたものの、その後の1ヵ月半で、トレーニング不足とインフルエンザ(みたいなもの)のダブルパンチで、すっかり自信を失ってしまった。果たして僕に35kmなんて走れるのか?不安を抱えながら、いつものスタート地点である、竹橋の坂の上にある歩道橋へ。傍の大きな石の裏に、ポカリと栄養補給のジェルを隠して、1周5km、7周の旅のスタート。

「あれ?速い。」
スタートして直後、調子が良いと感じてしまった。でも、これはあまり信じないことにしている。これまで何度も、幸先の良いスタートから転落したことがあったからだ。 しかしこの日は、一生懸命抑えようとしても、半蔵門から桜田門の下り坂も手伝って、5’10″/kmを超えるペースになってしまう。この分不相応のスピードがスタミナを奪うので、とにかくゆっくりを心がける。

しかし、がんばって抑えているのに5’15″/kmペースが20km付近まで続いていく。「あれ?本当に調子いいの?」と半信半疑のまま5周目に突入するも衰えず。これまでのハーフ記録を3分ほど更新してながら桜田門へ下る。竹橋まで続くフラット区間がさすがに厳しくなり始めたが、5’20″/kmを超えることがない。「あれれ?」 でも、さすがに5周目の最後、25kmで迎えた竹橋の坂はキツくなってきた。

6周目に突入するときに、「よーしここからが本番!」と周囲をはばからずに叫ぶ。やはり6周目はペースが落ち始め、25kmから30kmの5分はだいたい平均で5’38″/kmまで落ちる。最後の1周のスタート地点では「うーん、まだまだー!」と大声を張り上げる。上り区間は5’50″/kmくらいだが、下りとフラットな区間は、まだ5’35″/kmで走れてる。全然「脚が棒」にならない。本当に調子がいいみたい。

前回の42km走と比較して、30kmから先の落ち込みが比較的少ない。 前回の35kmタイムが3時間13分16秒 だったのに対して、今回は3時間8分51秒で走っている。5分近く縮まった計算になり、1kmあたり7.6秒速かったことになる。目標のサブ4を達成するには、残りの7.195kmを平均7’00″/kmで走っても大丈夫という計算になる。これはかなり自信になった。もう心配しないですみそう。

と思ったら、また気が抜けたというか、その後の練習が全然できていないのだ。その後の6日は細かい出張続きで、全く走れず、土曜にやっと15km走る。そのときもかなり調子が良く、15kmがあんなに楽に感じたことはなかったくらいだ。今週に入っても練習不足は続いていて、さらにお酒を飲む会も多い。ガマンして飲まなければ良いだけの話なのだが、意志が弱く、その場の雰囲気を最大限楽しんでしまう僕は、飲んじゃうんだろーなー…

ということで、今週はそんなに走れず、アルコールもひかえることなく、本番を迎えることになりそうだ。どうなることやら・・・

次回は、ゼッケンを受け取り、テンションが上がっているだろう、前日の東京ビッグサイトからお届けいたします。

いつものスタート地点、竹橋からの坂を上りきったところの歩道橋上から。写真ではあまりわからないけど、先に見える毎日新聞からここまでの坂がキツいんだ、また。

日本人メジャーリーガー成功の鍵って?

さて、マラソンネタはひと休み。でも、スポーツの話題。
ダルビッシュのメジャー移籍が話題になっているが、果たして彼は通用するか否か。僕は絶対に通用すると思っている。しかもかなり高いレベルで。これまでの選手達をみると、あちらでは、並外れたフィジカルと、それ以上のメンタルが求められると思っている。会見を見ていても彼のメンタリティは、レベルが違うので、活躍できない理由が見当たらない。

気になるのは、近頃のメジャーにおける日本選手の評価が、ダルビッシュを除いては、概ね低いことである。その背景には、過去に渡米した選手の成績が関係していることは言うまでもないが、なぜそうなってしまっているのか。WBCで世界一の実力を持ちながら、多くの選手がメジャーで通用しないのはなぜなのか。

その大きな理由のひとつは、彼らの能力を活かす上で、大変重要となる普段の生活における精神的な安定だと思っている。

良いプレーをするためには、心技体が高度にバランスしなければならず、その最初に来る「心」の支えが、実際のプレー以外の、練習時間であり、ベンチであり、監督・コーチ・同僚との人間関係であり、家庭であり、普段の生活だからだ。それまで日本のトップ選手としてやってきたのだから、本来「技」に問題はないはずだが、ここで鍵になるのはアメリカという国の文化と言葉の壁である。そして、日本でトップ選手であることが、逆にハンディキャップとなる可能性がある。

自分の留学経験から言えるのは、アメリカでの人間関係作りは決して簡単ではないということ。映画やテレビなどで見るように、彼らは気さくだから、きっかけはいくらでもあるし、楽しげに声をかけてくれる相手はたくさんいる。しかし、本当の友達とか親友となると、全然違う。

アメリカで気付いたのは、日本は良く言うと思いやりの文化だということ。悪く言えば探り合っている。まず相手が何を考えているか、何を言おうとしているか、何を欲しがっているかを考え、周囲を気遣うことが美しい。しかしアメリカの場合は、自分から何を求めているか表現しないと相手は理解しない。例えば、寮のふたり部屋で過ごしていた頃、ルームメイトがロックをガンガンかけている。僕は宿題をしなければならないので、本を机の上に開く。六畳程度の狭い部屋なので、相手が何をしているかは、一目瞭然。日本であれば「うるさくない?」とか「消そうか?」という一言を期待する。そこで「いいよ大丈夫」とか「悪いね」っていう流れになる。しかしアメリカの3年間で、のべ10人のルームメートを持ったが、そういう奴はひとりもいなかった。かといって彼らが悪い奴だったかというと、全くそんなことはない。彼らは「うるさかったら言えばいいじゃん」と思っている。何も言わない=気にならない。もしくは、音楽聞きながら勉強するのが好きなんだと考える。最初はそれがわからず「なんでこいつ気付かねーんだよ?」となる。でも、そういうときにストレートに言うことは、純日本人?なのでできず、はたまた気を遣った英語の言い回しなんて知る由もなく、結局何も言うことができず、とてもイライラする。自分にも相手にもすごく腹が立って、ストレスになった。

言葉不足による表現の壁は深刻だ。一般的に日本では外国人が日本語をしゃべることを期待していない。そして日本人は相手の言葉、特に英語がしゃべれないことを申し訳ないことだと考えており、実際に謝る。だから、学校のクラスや職場に外国人(特に欧米系の白人)が入ると、親切に応対をする。しかし、アメリカ人は誰でも英語がしゃべれて当たり前だと思っている。だから、英語をしゃべらない人を相手にしない。決して正しくしゃべれる必要はなく、文法や発音が全くでたらめでも、しゃべる人は通用する。この点で、日本人は正しくしゃべろうとする傾向が強く、本当は”しゃべれる”のに”しゃべらない”人になってしまうことが多い。(かくいう自分も最初はそうだった。)

言葉が不自由だから助けてあげようとか、日本人だからという理由で向こう側からやってくることはないし(女性の場合は別)、先輩と後輩とか、経験者と未経験者という考え方や、日本でどんなことをしてきたかなんて、彼らには一切興味がない。僕達日本人は、アメリカ人が気にかけてくれると期待をする。観光客ならそれはあるかもしれないが、プロとして生活する者に、そんなことは一切起きない。ましてやチームメイトはライバルでもある。こんな扱いを受けると、これまでの人生を否定された気分になり、とことん孤独を感じる。日本でトップ選手としてちやほやされ、高いプライドを持っていてば、その落差はさらに大きいと思う。

自分からコミュニケートし、何が出来るのかを見せ、それを認めさせる環境を自分でセットアップしないといけない。彼らが本当に受け入れてくれるのは、腹を割って話ができ、心から一緒に笑い、泣き、お互いを尊敬できると感じなければならないというと実は日本と変わりはない。僕のような一介の留学生と、日本のプロ野球で大活躍をした選手が全て同じだとは言わないが、基本は一緒だと思う。元メジャーリーガーの長谷川滋利氏がメジャーで最も大切なのは「適応力」だと言っていたが、正にその通りだと思う。

これらの環境の中でプレーをし、実際に成績を残すことがプロとして求められていることであり、その成績が超一流であれば、僕が書いたことはあまり関係なくなると思う。しかし、最初に書いた通り「心技体」の「心」が支えなければ、絶対に結果は出ない。そして結果が出るから「心」の支えも強くなる。

日本での数々の栄冠をすべて捨て、色々な意味でゼロからスタートをする。どれだけアメリカの文化に自分を「適応」させ、自分の能力を発揮できる環境を作れるか。これこそが鍵ではないか。

一昨年、NYヤンキースからLAエンジェルスに移籍した松井秀喜が、エンジェルスの選手として初めてNYのヤンキーススタジアムに戻ってきたときのシーンを見れば、彼がどれだけメジャーに「適応」したかがわかる。普段は「イチロー>松井」の僕だが、この時ばかりは心から感動した。これがなければ、ヤンキースでの彼の成功はなかったと思う。ダルビッシュの活躍を心から期待する。

これはひとりの人間として素晴らしいと思うし、日本人として誇らしいし、何だかんだ言ってもヤンキースが良いチームで強いことがわかるなー。

リンク

一番恐れていたことが起きた。風邪である。
確かに先週末から寒気を感じ、怠さを感じ、出張で寒いところにも行った。それでも自分なりに気をつけていたが…

38.0 度。
体温計のデジタル表は残酷だった。「オレは風邪ひかない」と身体に言い聞かせて来たんだから、ひかないものはひかない。そんな固い(と信じていた)意志をいとも簡単にうち砕いた。

実は、その日(2月1日)の朝、遅ればせながら、近所の医者で予防接種を受けた。「先生、風邪気味なんですが、今は絶対にインフルエンザになれないんです。」と伝えると「何もできないね。」と非情かつぶっきらぼうで、いつもの先生の反応だ。「予防接種したの?」ときかれ「いいえ」と答えると「何でそんなに大事ならしとかなかったの?」と言われ「大丈夫だと思ったので…」と言っている間に、僕の二の腕に針が刺さった。

翌日、前出の世界一痛い整体の先生に話を聞くと「予防接種は、簡単に言うとインフルエンザにかかったことにするわけだから、体力奪うし、色々な流れを止めちゃうから、ホントはしないほうが…」って言われる。この時期の接種はかなりのハンディになるらしい。もう手遅れだ。

とにかく、そのおかげでまたも一週間全く走れず、体力も著しく低下。去年の失敗から何も学んでない!

というわけで久しぶりに走った日曜日。”痛い先生”からは「無理しないこと。距離は決めないで、走れるところまででいいから。」と言われる。でも35kmは走りたかった。何しろ、本番の3週間前で長距離練習は終わりといわれているのだから、走っておかなければと思っていた。

皇居外周は相変わらずランナーでにぎわっていた。いつもの首都高代官町付近の駐車場に車を停める。東京のど真ん中なのに3時間まで400円という安さ。車の中で着替えを済ませ、コース横の看板の裏にゼリー飲料とポカリを隠してスタート。

ペースは悪くない。5’20″/kmで走っても問題ない。楽だった。速く走りたいのを我慢して5’30″/kmまで落とす。相変わらず毎日新聞前の竹橋の坂で始まる上り区間はキツいけど、FM東京から桜田門までの下りは爽快だ。ほぼフラットなお台場にはない醍醐味。4周目に入るとキツくなり始めたが、ペースはそんなに落ちない。でも、自分で異変には気付く。「脚が動かない!」こんなに早く来るとは。

20kmを過ぎ5周目に入ると完全に脚に来て、ちょうど半周の桜田門のところでストップ。1ヶ月前なら30kmを越えても来なかった脚の疲れが、ハーフの距離で・・・

ヤバい

本番3週間前→最後の長距離練習→25kmもたず→サブ4不可能
という自然の摂理が理解できたところで、悩む。

しかし、1ヶ月前の体力が、こうも簡単に失われるものか。1月8日の練習でサブ4出してから、そんなにハードに練習したわけではないけど、サボってたわけでもない。風邪の一週間を除いて、週に3日くらいのペースで、10~20km走ってた。で、この有様だ。予防接種がそんなに効いたか?それともただの練習不足か。

わかったよ。45のおっさんは、体調を維持するのが大変ってことな。

ということは、セオリー無視して、来週末に長距離走らないと。だって休むと落ちちゃうんだから。自分としても、そこである程度の距離走っておかないと、怖くて本番迎えられない。ギリギリの折り合いをつけなければ。

さて、どこまで回復できるか。

この4周は順調だったけど、この直後から・・・