社員の成長

先日、社員による改善活動「改善マン・ウーマン」の報告会があった。
自分の周りで改善できるテーマを探して、それを具体的にどのように改善し、結果としてどうなるかを報告するわけだ。

毎月行われるこの報告会は今回で4回目。
最初の2回については、過去に本格的な改善の取り組みをしたことがない社員達が一生懸命やっているということを評価し、その内容やプレゼンの進め方などについては、こうしたらいいのにと思っていても、あまり口を出さなかった。前回の3回目を所用で欠席したため、2ヶ月ぶりの参加となるが、もう一生懸命だけでは評価できない。さて、どんな成長を遂げたのか?

発表をするのは2チームで、両方ともコネクタを生産する事業部の、自動車向けの製品と家電製品向けの製品を作るそれぞれの部署から集まった精鋭による2チームである。

内容については、社内のことなので、ここで詳しく述べないが、2ヶ月ぶりに聞いた報告からは、それぞれのチームが回を追うごとに成長していることが伝わり、とても嬉しく思った。最初からまとまったプレゼンをしていた自動車チームは、コストを本質的に削減する大きなテーマに取り組むことを宣言した。

自動車チームの発表。発表の内容も資料のクオリティも上がっている。素晴らしい。

一方の家電チームは、内容、プレゼンとも、2回目から長足の進歩を遂げ、少なくとも私が入社してからの7年半、一度も変わらなかった工場のフロアレイアウトを変更して、工程の改善に着手した。この変わりようには正直驚いた。

棚のレイアウト変更を説明しているYさん。このチームもとっても成長していると思う。早く成果として現れてほしい。

ふたつのチームとも、自分達の問題を取り上げ、どう良くしていくかを考え、そして、ここが一番大事なのだが、行動をするという行為に変換をし始めている。まだ具体的な成果として、売上や利益に大きな影響を及ぼしていないが、これからその結果が出始めることを期待している。

ひとつ残念なのは、この彼らの成果発表をもっと多くの社員と共有できたらと思うことである。特にマシンを製造する事業部からの参加がなく、彼らには未だに具体的な改善報告会というシステムもない。だからこそ、他の事業部の発表を聞き、彼らの成長を目の当たりにし、自分達の糧にしてもらいたいと思うのだ。

会社は、社員にとってお金を稼ぐ場所であろうが、同時に成長する場所でなければならない。激しい国際競争に晒されている我々日本の製造業は、成長なくして明日はない。もう昨日と同じでは価値のない仕事なのだ。だから、社員全員が仕事を通して自分の成長を実感し、その結果、対価としての給料を正当にもらうという、当たり前の構造に早くしなければならない。今回の「改善マン・ウーマン」でそれを強く感じた。

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あれから一年

2011年3月11日金曜日は、鹿児島にいた。
14時46分、車を運転していた。何も感じなかった。
震度1だった。

その夕刻、鹿児島空港で、羽田空港閉鎖のため帰りの便がキャンセルと知り、少し事態を把握し始める。ようやく確保してもらったホテルでテレビをつけて、その映像から事の重大さを認識する。それまで、その週末に富山で予定していた富山TSS対東京TSSの野球大会が、東京からの移動ができないために、キャンセルになったと聞いて、「何を大げさにしてるんだ?」と思ってしまうほど、わかってなかった。

一年経った今でも、家内に「あの震災で電話もメールもしない、ひどい夫。」と冗談半分?でイジメられるが、沖縄を除くと、日本国内で震源地から最も遠い場所にいたのだ。心配していなかった。

非難を覚悟で告白すると、その揺れや恐怖を家族や社員と経験できなかったことが、良いことだったと思っていない。そして、それを共有できていないことを恥じる気持ちがあった。甚大な被害に遭い、家族や大切な方々を失った東北のみなさまにすれば「経験してないからそんなことを言うんだ」と言われるであろうが、日本人として、心に刻む何かが欲しいと思っていた。

なぜ僕は、あのタイミングで、九州という地震を感じないあの場所にいたのか。そして、いさせられたのか。僕には意味がないとは思えない。なぜなら僕はしょっちゅう九州に行っているわけではなく、その確率は、東北に行く確率と同じくらいであり、あの日に僕がたまたま東北にいてもおかしくなかった。逆に、九州で地震が起きる可能性も同じくらいあったはずだ。でも、僕は色々な偶然があるとはいえ、それを経験しないことを”結果的に選んだ”。その理由は今のところ不明だ。いつかわかる日が来るのだろうか。

震災に直接関連する出来事といえば、津波で流されてしまった設備を今までにないスピードで復旧させ、その生産を24時間体制で行い、切迫した需要に対応した。弊社の製品で、ヨウ素とセシウムを除去する浄水器を放射能の影響に苦しむ福島のある工場に寄付させてもらった。そして、東北で職を探している方をテレビで知り、採用させていただいた。大事なことだと思う。でも、十分だと思っていないし、もっとすることがあると思う。

この震災でわかったこと。それは、我々が今できることを全力でしなければならないということ。すなわち自分自身を生きるということ。

今、日本の製造業は大ピンチだ。しかし、我々のような精密機械や部品を作る”能力”は世界から求められてるはずだ。大げさではなく、TSSは、日本の製造業を支えていく責任があると思っている。我々のような中小の製造業が潰れたら、本当に日本の製造業は終わってしまう。

今、課せられたミッションは、TSSと社員が大きく成長し、苦しい日本の製造業を活気付けること。それこそが、僕自身を生きることであり、我々のできる本当の震災復興であり、日本と世界のためにできる、唯一で全てのことだと思う。

一年前の震災により被害を受けられた皆様に、あらためてお見舞いを申し上げ、失われた多くの命に、深い哀悼の意を表す。

釜石の警察署。公用車の白バイがこんな状態で放置されているのが、今の状況を表している。写真でも少し見えるが、この建物の裏側の広大な土地には、何百台ものいつ処分されるかわからないスクラップの車たちが整然と並んでいた。