リレーマラソン2012「目指せサブ3」その2

周回の3分の2あたりにあるTSSベースキャンプ前では、F澤監督が、毎周の通過タイムをチェックしている。Aチームは、9分ペースなので、前の周から9分以内に通過すれば、3時間を切れる計算だ。そして、これまでの6人は、地道にコツコツとタイムを縮め、1分近くの貯金を築いてきた。3時間切りが、いよいよ現実味を帯びてきた。

「イケちゃうんじゃない?」

第7走のW田部は、就職の面接で「僕の趣味はランニングです。」とアピールした。そして、入社式でも同じことを言い放った。その時、W田部のAチーム入りは決定した。ランナー人口密度は、おそらく富山県下でもトップレベルにあるであろうTSSに、殴り込みをかけた新人。周囲の期待はいやでも高まった。

本当に死んじゃうんじゃないのか?という表情でW田部が走り抜けたのは、前の走者、T島が通過してから、10分12秒後だった。それまで、先輩6人が渾身の走りで積み上げた宝物の1分は、W田部によって見事に喰い尽くされた。10分前の「イケちゃんうじゃない?」のは何だったんだろうか。今年のTSS残念大賞のトップにランクインしかねない怪走だった。

生死をさまようW田部。通過に気づかないF澤監督に、O部が「ヤバいっすよ、あいつ」

そして最終8走の”オールジャパン”N坂は、これまでの安定した走りが評価され、Aチーム入りを果たしたが、今年はさらにトレーニングを積んだのだろう。W田部で崩れかけたペースを9分台に戻してくれた。目線からアクションまで、自分自身では快心のポーズが決まっていると思っていたのだろうが、その意味が最後まで何だかわからなかったのが、悔やまれるところだ。

一体何を訴えたかったのだろうか?

8人全員が1周を走り終え、タイムは9分ペースより少しだけ速かった。しかし疲れが出る2巡目には、ズルズルと遅れ、16人が走ったところで、予定のペースを30秒ほどオーバーしていた。もちろん、2巡目も先輩の貯金をW田部がすべて食べ尽くす構図に変わりはなかった。

あと4周。

我々は作戦変更を余儀なくさせられた。その名もK坪2周作戦。社長の特権で、過去3年に引き続き、僕のアンカーは決まっているので、それまでの3周を実績あるK坪-T谷-K坪と繋ぐ。もう、なりふり構っていられない。確実にタイムをゲインして、3時間に近づける方法はそれしかなかった。

果たして2人はその3周でトータル30秒近く縮めて、僕に最後の襷を繋いでくれたのだった。

正確なタイムを知らなかったので、自分がどれくらいで走れば良いのか知らなかった。でも、何となく無理だろうと思っていたので、ちょっとあきらめテンションで走り始めた。既に全力で2周、4km以上走っていたので、それでもキツかった。そして、どうせダメなんだから、もっとゆっくり走っちゃおうかな?と思ったそのとき、コース途中にある世界一美しいスターバックスの時計が12時56分を指していた。10時1分スタートだから、時計が正確なら、3時間まであと5分弱。そしてゴールまで1kmとちょっと。

「えっ…頑張ったら行けちゃうの?」

これは最悪のシナリオだ! どうせなら、もう絶対無理!っていう時間か、すごく余裕のある時間か、どっちかにして欲しかった。こんなんじゃ、最後まで頑張らなきゃいけないじゃないか。ともすれば、W田部ではなく、僕のせいで3時間切れなかったことになってしまう。

走った。とにかく走った。

ヤバい!あと1分を切ってる。

口から肺が出るんじゃないかと思った。 ヘアピンは、出来るだけ大回りして、スピードを落とさないようにした。 みんなの前を通ったとき、もっとテンション高いのかと思いきや、あまり興奮してないし、盛り上がってない。もう無理だから諦めてるのか? それとも、ただ無関心なだけなのか?最後のコーナーを曲がって、上り坂のテッペンにあるゴールを目指す。ゴール横にある時計が、チラッと目に入った。

13:00:51

一瞬、ダメだったかっ!と思ったけど、1分遅れでスタートしていたことをすぐに思い出す。結果は2時間59分51秒。目標達成!ゴールにいたK坪が、「やりましたね!」と言ってくれた。少なくとも、気にしてくれている奴が一人いた。

職場部門221チーム中27位、総合508チーム中62位。(去年はそれぞれ165チーム中23位と378チーム中56位。) 昨年の職場部門10位は2:56:21だったが、今年は2:47:26。 チーム数が増え、レベルも上がった。 来年は15分縮めないと、ベスト10は狙えないだろう。ということは、1周あたり平均45秒縮める計算か… みんな、来年は全員8分前半狙いだぞ!まずは自分だけど。

他のチームの結果は、Bチームのほうが4時間を切ったが、ハーフのCチームは2時間を少し超えてしまった。その元凶、CチームのK玉は、TSS全参加者中で最遅ラップという不本意な記録を残したにもかかわらず、最後の抽選会でダイヤのネックレスを当てた。10万円相当らしい。そんなもの貰っても、入社時比較で30kgは増えたであろうその体重を元に戻さないと、あげる相手もいないので、ダイヤの持ち腐れだ。後輩N山を見習って欲しい。

いよいよ無差別級に突入のK玉。痩せないとプレゼントできない10万のネックレスと。

リレーマラソンは、みんなと一緒に参加できる。そして走っていない時間には、みんなと話ができる。同じゴールに向かって走る。最後にみんなで焼き肉を食べられる。会社では見ない表情、できない会話、違う達成感。

こういうみんなと仕事ができることが、誇りだし、幸せだと思う。ありがとう。

そして、最後にW田部、ありがとう。
君のおかげで、最高のスリルを味わえたよ。

毎年恒例の焼肉打ち上げ。走って削った脂肪を補充する。

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京急蒲田の踏切がなくなって思うこと

リニューアルされる前の弊社サイトのコラムに、京急蒲田駅周辺の踏切のことを書いた。そのときの内容は、だいたいこんな感じだったと思う。

これは京急の傲慢だ。踏切とは、通常、生活のための道路に、電車が通過するときだけ、申し訳なさそうに遮断機を下ろして、安全を確保するものだ。しかし、京急蒲田の場合、「普段は電車が通る線路なので、道路としては機能しませんが、電車が通らないときだけ、道路として使って良いですよ。」という京急の意志が表れている。朝夕のラッシュ時には、20分以上閉じていることもざらで、踏切の両側に合計150人くらいと、車数十台が待たされていた。時給を単純に1000円と考えても、一回の遮断で、5-10万円の経済的ロスが生じ、一日では軽く数百万円を超えるムダが、生じていたと考えられる。

もちろん、京急利用者は、本数が増えれば便利になって、その恩恵を受ける。でもそれは、京急の収益につながるもので、そのために、何の罪もない待たされる側は、家を15分早く出たり、帰りが20分遅くなったりして、それが当たり前のことと我慢させられていた。あの踏切を通勤や通学に使っていた人たちは、一日あたり約30分の時間を無償で京急に捧げていたことになる。

そんな踏切が、10月21日になくなった。

高架化され、かつて一日中鳴り続けた警報機に黒いカバーがかけられている

待たされることが大嫌いな僕は、どうしても避けられない場合以外は、あの踏切を通らないように心がけていた。でも、今はもう、踏切が開いてるうちに渡ってやろうと走ることも、どうせ閉まっているからと、手前のコンビニで飲み物を買うこともなくなった。

きっと、この道を通っていた人たちは、一日の30分を取り戻したことで、少しだけ寝坊ができるようになり、帰りが早くなったお父さんたちは、家族とふれあう時間が増えたであろう。すばらしい出来事だ。怒ってはいたが、京急も東京都も、がんばったと思う。

ところが、あれだけ毛嫌いしていた踏切が、いざなくなると、不思議なもので、ちょっと寂しい。便利になることは、素晴らしいのだが、それによって失われたものがあるのかもしれない。

大型ショッピングセンターやコンビニの台頭の影で消え行く、街の商店街。
パソコンのキーボードと向き合う時間が増えて、書き方を忘れてしまった漢字。
携帯電話の普及で失われてしまった、人々のリアルなコミュニケーション。
高速道路や新幹線の開通で人足が遠のく、峠のドライブイン。
例を挙げればきりがない、便利さと引き換えに失っていくものの数々。

便利さとは、制限を取り除くこと。
しかし、考えてみれば、物事は制限があるから面白い。

スポーツのルールは、一種の制限だ。ルールがなければスポーツではないし、面白くもない。

服にもルールがある。スーツは一見同じに見えるが、デザインにも、着方にも、それを着るシチュエーションにも細かいルールがある。そのルールの中で、お洒落な人と、そうでない人には、天と地以上の差が生じる。

ビジネスにも、社会にもルールがあり、その中で、いかに生き抜くかのかが、面白いのではないか。

考えてみれば、人生は制限と制約とルールでがんじがらめだ。だからこそ、面白いのではないか。それがすべて無くなれば、秩序が崩壊し、僕らの生命の前提が失われてしまうだろう。だから、僕らはその制限の中で人生を謳歌し、ルールのもとで生きることを楽しまなくてはならない。

京急蒲田の踏切が無くなって、周囲に暮らし、勤めている我々の制限は大幅に緩和された。そして、それによってもたらされる便利なことは、たくさん思いつく。しかし、その影で、きっと失われてしまった何かがあるのだろうと感じている。

人生のルールすら楽しむことが出来ていない僕に、それが何かはまだわからない。

1日で約5万人が使ったプラットホームは、何だか寂しげ