東京マラソン Vol.4

何だろうか、この妙な満足感。
今年も2年連続で、目標のサブ4(4時間切り)は果たせず、毎度のことながら、走り終えた達成感も特にない。何を隠そう、2年前に4時間を切った時でさえ、大した達成感はなかった。何のために走っているのか、明確な説明は、未だできない。でも、今回は、なぜかいつもと違う満足感があるのだ。

2年前の投稿に、走る理由を書いたものがあるが、「朝の張りつめた空気が好きだから」という、わけのわからない結論で、我ながら、全く納得できる内容ではない。

よく言われる「ドM」だから、というのは、ある程度的を得ている気もする。実際、僕は、自分の身体に対して、結構厳しく当たっているのだろう。だが、マゾヒストの定義とは、「肉体的精神的苦痛に”快感”を得るもの」とあり、その点で、42.195kmを走って、快感を得ることなく、ただ単に苦痛だったことを考えると、正しい理由ではないのだろう。

じゃあ、走ることで、何かメリットを得ているからなのだろうか?
ランニングで得る実利といえば、食べ物と飲み物に、ストレスフリーでいられること。普段のほぼ毎日が、暴飲暴食な僕にとって「走ってるんだから…」は、かなり強力なエクスキューズだ。その証拠に、人間ドックの結果は、ほぼオールAだし、ウエストも20代後半から、ほとんど変わっていない。でも、本当にそれが目的なら、週に2-3回、数キロ走れば十分で、フルマラソンまでする必要はない。

で、最近は、ランニングが、僕にとっての「修行」ではないかと思い始めている。
楽しさ、達成感、爽快感、ランニングハイというものとは、あまり縁がない。あるとすると、自分に対する対峙、己の克服、そして、どこまで行けるのかという自己探求。書くとかっこいいが、要するに、訓練みたいなもので、それは正に「修行」ではないか?

実は、毎朝走る時、「雨降ってないかな?」「風が強く吹いてないかな?」「体調悪くないかな?」と、走らなくて良い理由を見つけている自分を知っている。サボりたいのである。だから、それらを乗り越えて、走り終えた時には、自分に打ち勝ったと思う。それは、達成感とは少し違う、自分自身との勝負に勝つ満足感であり、存在の確認みたいなものだ。自己承認のために、”走る”というハードルを設けて、それを越えられる自分を確認して、安堵するのだろう。

どうやら僕の中では、その「修行」のチェックポイントとして、東京マラソンがあるらしい。そして、サブ4という目標は、その「修行」の成果を確認し、発表する機会なのだろう。もし東京マラソンに出ていなければ、10月から1月にかけて、毎月100km以上走らないだろうし、サブ4という目標がなければ、サボる自分を許してしまっているだろう。

東京マラソンの最初と2回目は、iPhoneのAppが教えてくれる、km毎のペースとタイムを聞くためにイヤホンをして走り、その2回目で、サブ4の目標を達成した。そして、体調が万全でなかった3回目の昨年は、イヤホンなしで走った。別にそこまでストイックになる必要もなかったというのが、その理由だった。でも、イヤホンを外すことで、ボランティアと、沿道の方々の応援を余すことなくもらうことができ、東京マラソンの本当の素晴らしさを知った。人の励ましが、自分の力になることを教えてもらった。

だから今年の僕が、こんな格好で出場するのは、ほぼ必然だった。

スタート前。実はほとんど何も見えていません。

スタート前。実はほとんど何も見えていません。

「東京マラソンで声援をもっと受ける」→「他より目立つ」→「一目でそれとわかって、呼び易い」→「でも、サブ4は達成したので、走りは邪魔しない格好」という出走条件にした場合、選択肢はスパイダーマン以外になかった。もうそれは、10ヶ月前くらいから決まっていた。

自宅で、コスチュームを着て、普段着でその上から覆い隠して会場まで向かう。一番恥ずかしいのは、その上着を脱ぐ「変身」の瞬間。コスプレなどしたことない自分にとっては、未知のゾーンである。しかし、さすがにコスチュームランナーの多い東京マラソン、周囲に大して注目もされず、少し拍子抜け。それでも、スタートまでに、何人かにカメラを向けられ、中には「一緒にお願いします」と写真を撮られることもあった。すでに気分は、スーパーヒーロー。しかし、スタート前から、マスクの中は曇っており、ほぼ何も見えない。隣の人の顔すら識別できない。このままで走るのは、危険だし、給水を受けることも出来ないので、スタートからしばらくは我慢してマスクを着けて、その先で、”ピーター・パーカー”に戻ることにしていた。

予定通りスタートから2kmでマスクをとって走ったが、道中は、ほぼずっと「スパイダーマーン!」と声をかけられた。25kmくらいまでは、蜘蛛の巣ポーズなどで対応していたが、段々疲れてきて、微笑み返しになり、35kmから先は、無反応になった。とにかくつらくて、それどころではなく、聞こえているのに反応できないというのが正しい。

しかし、ここからが、スパイダーマンスーツの真骨頂。声援を受けることは、反応ができなくても、嬉しいし、前に進む力になる。さらに、スパイダーマンであるが故に、止まることはもちろん、歩くこともできない。そんなカッコ悪いスーパーヒーローはいないのである。だから、僕は走り続けた。

35kmを越えるとアップダウンが増える。ここは最初の難関、佃大橋。

35kmを越えるとアップダウンが増える。ここは最初の難関、佃大橋。

35kmが過ぎて、スタートの時点で普段より10以上高かった心拍数がついに180に達し、4時間のペースメーカーが、視界から遠ざかっていった時には、絶望した。でも、走り続けた。友人のお医者様から聞いた「35kmから先は確かに辛いけど、がんと闘う患者さんの苦しみに比べたら、全然対したことない」という言葉と相まって、もう止まるわけにいかなくなっていた。

ネット4時間04分59秒、グロス4時間05分45秒。

ゴールでマスクを再度装着するつもりだったけど、もうそんな気力も残ってなかった...

ゴールでマスクを再度装着するつもりだったけど、もうそんな気力も残ってなかった…

目標達成できなかったのに、満足感。その理由は、目標達成できないとわかった時、折れずに続けらる自分を発見したこと。練習通りにサブ4を達成するより、全然満足できた。声援に助けられ、コスチュームに助けられ、ボランティアに助けられた、今年の東京マラソン。何だか、少しずつ楽しみ方がわかってきたみたいだ。

男前の国

仕事でミラノに行くなんて幸せは、普通やって来ない。

しかし、今回は、弊社が新規事業の柱として、大きな力を注いでいる、医療機器の産学連携プロジェクトで、開発中のプロトタイプをミラノに持ち込んで、現地の医療機代理店や医師の方々から、貴重なフィードバックをいただくというミッションで、大学の先生方やプロジェクトメンバーの方々とともに、10年ぶりにミラノに戻った。 決して遊びにきたのではない(断言)!

僕はイタリアが好きだ。
洋服も、車も、料理も、建物も、芸術も、その根底にある文化も。 だいたい、これらは僕の興味があるものと一致している。
もはや、僕が前世でイタリア人をやったことがあることに疑いの余地がない。

特に目につくのが、お洒落な男。
日本の男性とついつい比べてしまう。 僕よりも年上の日本の先輩方から、ファッションを感じる事はなかなかない。スーツを着ていれば、何でも良いとばかり、当たり障りのないものを着ていたり、一見お洒落そうに見えても、ブランド物に頼った個性のないものが多かったりする。若い世代には、お洒落な人もいるが、雑誌に出ていたコーディネートをまんま真似ていたり、トレンドを追っているだけの、”他人からの承認”を得た服装も多いような気がする。

ミラノの、フツーのレストランでディナーを食べていて、気づくのは、入ってくる男達、特に僕と同じくらいの中年オヤジが、みんな独特で主張を持った服装をし、それに自信というか、責任をひしひしと感じること。そう、着るものにメッセージがあり、その”発言”に、責任を持っている(と感じる)。もう既に内面からカッコ良いのだ。この辺りが、日本の繁華街で幅を利かせている、某LEON誌の上辺だけをコピーする”ちょいワルおやじ”達とは、全くレベルが違うのだ。ミラノの男達からは、「オレはこれを着るために生まれてきた」ぐらいの気迫を感じる。だから、大方の日本人の「これ着ておけば大丈夫」では、所詮勝負にならない。プロ対アマチュア、iPhone対HiPhone(中国製)、フェラーリ対トヨタヴェロッサくらい違う。

メンズファッションに対する社会の扱いも違う。日本のフツーの百貨店は1階が化粧品とブランドショップ、2〜4階まで婦人服、5階が紳士服とスポーツというように、明らかに紳士服は、脇役である。野球の打順なら、8 番だ。ところがイタリアでは、1階の化粧品とブランドショップは同じだが、次のフロアは紳士服で、その上に婦人服がある。完全にクリーンアップ級の扱いである。

そんなメンズ王国だから、イタリア男は世界でモテる。自信満々のアウトフィットを身にまとい、お目当ての女性を見つけたら、時間も場所もおかまいなしに猛然とアタック。フラれたってなんのその。ブレない、ひるまない、へこたれない。こんな男になりたい。

今回の出張でご協力をいただいた医師の方々は、どなたもイタリアでトップにランクされる名医である。持ち込まれたプロトタイプに対する、それぞれの先生の表情やコメントに注目していたが、今にも切り裂かんばかりのトップドクターとしてのオーラを感じた。殆どの方が、白衣や術衣で登場されたが、そこからもイタリアンな男前ぶりを十分に発揮していた。そして、スーツ姿の先生には、シンプルな上品さの中に、気高さを感じた。

今回のミラノ出張は、仕事でのフィードバックももちろんだが、内面も外見も磨くべしという、男としてのフィードバックをいただいた。仕事でさらに磨きをかけ、あの鋭く尖ったナイフのような先生方に納得していただけるものを準備しなければ、男前の国、イタリアには戻って来れないのである。

ミラノの中心、ドゥオモの広場。大聖堂だけでなく、周りの建物がいちいちオシャレ。こういう国だから、男前が生まれるんだな。

ミラノの中心、ドゥオモの広場をパノラマ撮影。大聖堂だけでなく、周りの建物がいちいちオシャレ。こういう国だから、男前が生まれるんだな。