念願の…

なぜ僕らは、オフィスの閉じられた空間で、仕事をしなければならないのか。 快晴の空に、時折吹く心地よい風。天国と勘違いしてしまうような気候でも、日本のオフィスで働く人達のほぼ全員が、室内に閉じこもり、エアコンを入れ、電気を点けて仕事をしている。真面目に働かなきゃいけないのはわかるけど、室内で、と決まっているわけじゃないはずだ。どうしてこんなことになっているのだろう。誰か納得のいく説明をしてくれないだろうか?

確かに、ウチの製造現場のように、室内でしかできない仕事だってある。学校も塾も、勉強をするのは室内だし、仕事で自分のデスクが屋外にある人なんて、いないだろう。だから仕事のベースは、室内でいいと思う。しかし、パフォーマンスのクオリティ、そして、クリエイティビティという観点から考えて、オフィスや会議室に閉じこもっていることが本当に良いのだろうか?

落ち着きがなく、多動性の疑いすらある僕は、オフィスにじっとしていることはできない。そして、いつも自然の恵みをできるだけ享受したいと思っているから、用もなく外に出て仕事をすることがある。しかし、遠くへ行かなくても、実は身近なところに、最高の仕事スポットがあることに、以前から気がついていた。しかし、そこで仕事をするには、若干の「手入れ」が必要で、それが面倒で、少しためらっていた。そして最近、重い腰をやっと上げた。いや、正確には、社員が上げてくれた。

それは、ウチの蒲田本社の屋上である。以前からこの場所は、悩んだ時の考え事をする場所として、はたまた週末限定のオフィスとして、下の階から、椅子と机を運んで、テンポラリーに仕事場として使っていたことがあった。そして、屋上のでの仕事は、いつもはかどった。気温34度の真夏でさえ、風が吹けば、とても涼しく感じたし、3月でも11月でも、太陽が出ていれば、寒さを感じはしなかった。

この5月から、自分のオフィスが、屋上と同じ階のフロアに移ったことを受けて、若い社員達に、この屋上をオフィス兼、会議室兼、ビヤガーデン会場にしたいので、DIYで作ろうと、ほぼ本気(ちょっと冗談)で言っていた。そしてある朝、屋上に行ってみると、こんなセットが完成していた。その社員が「材料代より安いので、できあいのものを買ってきちゃいました!」と言って組立式のものを本当に買ってきた。
確かに、これ全部で29,000円は安いが、その値段よりも、本当に買ってくる行動力に驚いた。

ついに屋上がカフェテラスに!

ついに屋上がカフェテラスに!結構いいでしょ?

そして、実際僕は今、この文章をその場所で書いている。6月4日。現在の気温は30度。太陽が照りつけて、暑いことは暑いけど、時折吹く風が、冷房の百万倍心地よい。まだこのテラスセットが来て一週間だが、僕は、仕事をここでするし、打合せもここでする。昨日は、弁当を買ってきて、ランチをここで食べた。

テーブルと椅子だけでは終わらず、これから屋上をどんどんとアップグレードして、社員の憩いの場になるようにしていこうと話をしている。手始めは、夏のビアガーデンと思っているが、席とテーブルが足りないので、悩み中。

具体的な数値を挙げて、屋上が、どれだけクリエイティブで生産性が高いかを示すことは今のところできないし、これから先もしないだろう。でも、晴れた日に、パラソルの下でするミーティングや考え事が、とてもクリアなマインドでできることを知ってしまった。だから、この場が、少なくとも僕にとって、判断基準の質を上げてくれてることは間違いない。

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Ready?

今年も、4人のフレッシュな新人が、TSSに入社した。おめでとう!
彼等が、僕の今の年齢である47歳になるのは、約25年後の2039年。その頃の日本と世界はどうなっているのだろう?

会社の平均年齢がまた下がったけど、平均体重は上がったな、うん。

会社の平均年齢がまた下がったけど、平均体重は上がったな、うん。

ある統計によると、日本の人口は、2010年の1億2800万人から、2040年までに、1億700万人となるそうだ。さらに、働く人の就業人口は、約6,000万人から、少子高齢化などで、4,500万人近くになってしまうらしい。減る分の殆どが、働く人ということになる。僕は、会社を30代と40代前半が中心になって回せるようにしたい、と常々言っているが、彼等が中心になる時の世界は、今とは様変わりしているのだろう。

今から25年前、1989年はバブルの真っ只中。僕が日本の大学を卒業し、アメリカに留学した頃、携帯電話は肩からかけられていたし、パソコンと言えば、NECのPC98で、ほぼワープロ機能のみの白黒ディスプレイ。ウィンドウズはMS-DOSのVer.4.0で、面倒くさいコマンドを入力してLotus123を立ち上げてた。イチローは愛工大名電の一年生で、まだ甲子園にすら出場していなかった。トヨタの白いハイソカー(マークII、チェイサー、クレスタ3兄弟)か、ホンダのプレリュードに乗っていればモテモテで、ベンツとBMWには、今の100倍くらいプレミア感があった。

1億総中流と言われ、日本国民は皆、自分達が世界の頂点にいると思っていた。
就職は超売り手市場で、家の廊下は、リクルート関連誌に占拠された。内定が決まったら、他の企業から隔離するために、クルーザーでの海上パーティや海外旅行が当たり前のように行われた。三菱地所がマンハッタンの象徴、ロックフェラーを買い、安田火災がゴッホのひまわりを58億円で買った。コロンビアピクチャーズを買収したソニーは、今のアップルのように輝いてた。

この25年で、インターネット、携帯電話、SNSなどの普及で、コミュニケーションのあり方が劇的に変化した。そして、ものづくりの世界は、ウォークマン、電子計算機、カメラ、電子辞書などのハードが、携帯電話のソフトになってしまった。そして世界のものづくりの中心は、日本から中国へ移った。ハイブリッドと電気自動車が、給油所の数をほぼ半分にした。冷戦時代の終結で平和になると思ったら、テロ戦争が激化した。中国の名目GDPは、18倍になり、世界の2位になった。そして、イチローは、メジャーリーグで数々の偉大な記録を残し、最も尊敬される野球選手のひとりになった。25年前に、これらを予言できたとしても、誰1人として信じる者はいなかっただろう。

これからの25年は、これまでの25年よりも、変化がさらに加速するだろう。今の誰にも、想像のつかないことが起こる。人間の脳が研究され、コミュニケーション方法は脳のレベルで進化し、ハードのソフト化は、誰にも止められず、エネルギー効率も飛躍的に向上するだろう。僕が想像していることを書いたら、気が狂っていると言われそうだから、もうやめておくが、そんなレベルの変革が当たり前な時代だ。

そんな世の中の主役となって活躍しなければならない、今年の新入社員。ジェットコースターのようにめまぐるしく変わる世界は、楽しみと恐怖が表裏一体だ。変化を望むものは、それを楽しめるし、変化に抵抗する者には、容赦ない洗礼が待ち受けているだろう。準備はいいか?
彼等の25年後が楽しみだ。

その頃、僕は72歳か…
早死に希望だけど、もし生きてるなら、南の島でゴルフしてるだろうなぁ。進化したクラブって400ヤード飛ぶのかな?72歳じゃ無理か…

東京マラソン Vol.4

何だろうか、この妙な満足感。
今年も2年連続で、目標のサブ4(4時間切り)は果たせず、毎度のことながら、走り終えた達成感も特にない。何を隠そう、2年前に4時間を切った時でさえ、大した達成感はなかった。何のために走っているのか、明確な説明は、未だできない。でも、今回は、なぜかいつもと違う満足感があるのだ。

2年前の投稿に、走る理由を書いたものがあるが、「朝の張りつめた空気が好きだから」という、わけのわからない結論で、我ながら、全く納得できる内容ではない。

よく言われる「ドM」だから、というのは、ある程度的を得ている気もする。実際、僕は、自分の身体に対して、結構厳しく当たっているのだろう。だが、マゾヒストの定義とは、「肉体的精神的苦痛に”快感”を得るもの」とあり、その点で、42.195kmを走って、快感を得ることなく、ただ単に苦痛だったことを考えると、正しい理由ではないのだろう。

じゃあ、走ることで、何かメリットを得ているからなのだろうか?
ランニングで得る実利といえば、食べ物と飲み物に、ストレスフリーでいられること。普段のほぼ毎日が、暴飲暴食な僕にとって「走ってるんだから…」は、かなり強力なエクスキューズだ。その証拠に、人間ドックの結果は、ほぼオールAだし、ウエストも20代後半から、ほとんど変わっていない。でも、本当にそれが目的なら、週に2-3回、数キロ走れば十分で、フルマラソンまでする必要はない。

で、最近は、ランニングが、僕にとっての「修行」ではないかと思い始めている。
楽しさ、達成感、爽快感、ランニングハイというものとは、あまり縁がない。あるとすると、自分に対する対峙、己の克服、そして、どこまで行けるのかという自己探求。書くとかっこいいが、要するに、訓練みたいなもので、それは正に「修行」ではないか?

実は、毎朝走る時、「雨降ってないかな?」「風が強く吹いてないかな?」「体調悪くないかな?」と、走らなくて良い理由を見つけている自分を知っている。サボりたいのである。だから、それらを乗り越えて、走り終えた時には、自分に打ち勝ったと思う。それは、達成感とは少し違う、自分自身との勝負に勝つ満足感であり、存在の確認みたいなものだ。自己承認のために、”走る”というハードルを設けて、それを越えられる自分を確認して、安堵するのだろう。

どうやら僕の中では、その「修行」のチェックポイントとして、東京マラソンがあるらしい。そして、サブ4という目標は、その「修行」の成果を確認し、発表する機会なのだろう。もし東京マラソンに出ていなければ、10月から1月にかけて、毎月100km以上走らないだろうし、サブ4という目標がなければ、サボる自分を許してしまっているだろう。

東京マラソンの最初と2回目は、iPhoneのAppが教えてくれる、km毎のペースとタイムを聞くためにイヤホンをして走り、その2回目で、サブ4の目標を達成した。そして、体調が万全でなかった3回目の昨年は、イヤホンなしで走った。別にそこまでストイックになる必要もなかったというのが、その理由だった。でも、イヤホンを外すことで、ボランティアと、沿道の方々の応援を余すことなくもらうことができ、東京マラソンの本当の素晴らしさを知った。人の励ましが、自分の力になることを教えてもらった。

だから今年の僕が、こんな格好で出場するのは、ほぼ必然だった。

スタート前。実はほとんど何も見えていません。

スタート前。実はほとんど何も見えていません。

「東京マラソンで声援をもっと受ける」→「他より目立つ」→「一目でそれとわかって、呼び易い」→「でも、サブ4は達成したので、走りは邪魔しない格好」という出走条件にした場合、選択肢はスパイダーマン以外になかった。もうそれは、10ヶ月前くらいから決まっていた。

自宅で、コスチュームを着て、普段着でその上から覆い隠して会場まで向かう。一番恥ずかしいのは、その上着を脱ぐ「変身」の瞬間。コスプレなどしたことない自分にとっては、未知のゾーンである。しかし、さすがにコスチュームランナーの多い東京マラソン、周囲に大して注目もされず、少し拍子抜け。それでも、スタートまでに、何人かにカメラを向けられ、中には「一緒にお願いします」と写真を撮られることもあった。すでに気分は、スーパーヒーロー。しかし、スタート前から、マスクの中は曇っており、ほぼ何も見えない。隣の人の顔すら識別できない。このままで走るのは、危険だし、給水を受けることも出来ないので、スタートからしばらくは我慢してマスクを着けて、その先で、”ピーター・パーカー”に戻ることにしていた。

予定通りスタートから2kmでマスクをとって走ったが、道中は、ほぼずっと「スパイダーマーン!」と声をかけられた。25kmくらいまでは、蜘蛛の巣ポーズなどで対応していたが、段々疲れてきて、微笑み返しになり、35kmから先は、無反応になった。とにかくつらくて、それどころではなく、聞こえているのに反応できないというのが正しい。

しかし、ここからが、スパイダーマンスーツの真骨頂。声援を受けることは、反応ができなくても、嬉しいし、前に進む力になる。さらに、スパイダーマンであるが故に、止まることはもちろん、歩くこともできない。そんなカッコ悪いスーパーヒーローはいないのである。だから、僕は走り続けた。

35kmを越えるとアップダウンが増える。ここは最初の難関、佃大橋。

35kmを越えるとアップダウンが増える。ここは最初の難関、佃大橋。

35kmが過ぎて、スタートの時点で普段より10以上高かった心拍数がついに180に達し、4時間のペースメーカーが、視界から遠ざかっていった時には、絶望した。でも、走り続けた。友人のお医者様から聞いた「35kmから先は確かに辛いけど、がんと闘う患者さんの苦しみに比べたら、全然対したことない」という言葉と相まって、もう止まるわけにいかなくなっていた。

ネット4時間04分59秒、グロス4時間05分45秒。

ゴールでマスクを再度装着するつもりだったけど、もうそんな気力も残ってなかった...

ゴールでマスクを再度装着するつもりだったけど、もうそんな気力も残ってなかった…

目標達成できなかったのに、満足感。その理由は、目標達成できないとわかった時、折れずに続けらる自分を発見したこと。練習通りにサブ4を達成するより、全然満足できた。声援に助けられ、コスチュームに助けられ、ボランティアに助けられた、今年の東京マラソン。何だか、少しずつ楽しみ方がわかってきたみたいだ。

男前の国

仕事でミラノに行くなんて幸せは、普通やって来ない。

しかし、今回は、弊社が新規事業の柱として、大きな力を注いでいる、医療機器の産学連携プロジェクトで、開発中のプロトタイプをミラノに持ち込んで、現地の医療機代理店や医師の方々から、貴重なフィードバックをいただくというミッションで、大学の先生方やプロジェクトメンバーの方々とともに、10年ぶりにミラノに戻った。 決して遊びにきたのではない(断言)!

僕はイタリアが好きだ。
洋服も、車も、料理も、建物も、芸術も、その根底にある文化も。 だいたい、これらは僕の興味があるものと一致している。
もはや、僕が前世でイタリア人をやったことがあることに疑いの余地がない。

特に目につくのが、お洒落な男。
日本の男性とついつい比べてしまう。 僕よりも年上の日本の先輩方から、ファッションを感じる事はなかなかない。スーツを着ていれば、何でも良いとばかり、当たり障りのないものを着ていたり、一見お洒落そうに見えても、ブランド物に頼った個性のないものが多かったりする。若い世代には、お洒落な人もいるが、雑誌に出ていたコーディネートをまんま真似ていたり、トレンドを追っているだけの、”他人からの承認”を得た服装も多いような気がする。

ミラノの、フツーのレストランでディナーを食べていて、気づくのは、入ってくる男達、特に僕と同じくらいの中年オヤジが、みんな独特で主張を持った服装をし、それに自信というか、責任をひしひしと感じること。そう、着るものにメッセージがあり、その”発言”に、責任を持っている(と感じる)。もう既に内面からカッコ良いのだ。この辺りが、日本の繁華街で幅を利かせている、某LEON誌の上辺だけをコピーする”ちょいワルおやじ”達とは、全くレベルが違うのだ。ミラノの男達からは、「オレはこれを着るために生まれてきた」ぐらいの気迫を感じる。だから、大方の日本人の「これ着ておけば大丈夫」では、所詮勝負にならない。プロ対アマチュア、iPhone対HiPhone(中国製)、フェラーリ対トヨタヴェロッサくらい違う。

メンズファッションに対する社会の扱いも違う。日本のフツーの百貨店は1階が化粧品とブランドショップ、2〜4階まで婦人服、5階が紳士服とスポーツというように、明らかに紳士服は、脇役である。野球の打順なら、8 番だ。ところがイタリアでは、1階の化粧品とブランドショップは同じだが、次のフロアは紳士服で、その上に婦人服がある。完全にクリーンアップ級の扱いである。

そんなメンズ王国だから、イタリア男は世界でモテる。自信満々のアウトフィットを身にまとい、お目当ての女性を見つけたら、時間も場所もおかまいなしに猛然とアタック。フラれたってなんのその。ブレない、ひるまない、へこたれない。こんな男になりたい。

今回の出張でご協力をいただいた医師の方々は、どなたもイタリアでトップにランクされる名医である。持ち込まれたプロトタイプに対する、それぞれの先生の表情やコメントに注目していたが、今にも切り裂かんばかりのトップドクターとしてのオーラを感じた。殆どの方が、白衣や術衣で登場されたが、そこからもイタリアンな男前ぶりを十分に発揮していた。そして、スーツ姿の先生には、シンプルな上品さの中に、気高さを感じた。

今回のミラノ出張は、仕事でのフィードバックももちろんだが、内面も外見も磨くべしという、男としてのフィードバックをいただいた。仕事でさらに磨きをかけ、あの鋭く尖ったナイフのような先生方に納得していただけるものを準備しなければ、男前の国、イタリアには戻って来れないのである。

ミラノの中心、ドゥオモの広場。大聖堂だけでなく、周りの建物がいちいちオシャレ。こういう国だから、男前が生まれるんだな。

ミラノの中心、ドゥオモの広場をパノラマ撮影。大聖堂だけでなく、周りの建物がいちいちオシャレ。こういう国だから、男前が生まれるんだな。

あけましておめでとうございます

2014年が、波瀾万丈の年になることを示唆するかのように、イベント盛りだくさんの正月だった。
まずは、この写真。

こんなに素敵な日の出は初めて。2014年が素晴らしい年になる予感。

こんなに素敵な日の出は初めて。2014年が素晴らしい年になる予感。

正月を過ごす箱根に向かう道中、小田原の海岸で撮影した。
こんな初日の出を拝んだのは人生初だ。
そもそも、こんなにクオリティの高い日の出が、初めてで、それが1月1日なんだから、最高だ。
こういうものは、普通、ある程度の年齢以上になると、その良さがわかるものだが、一緒にいた高校一年と中学二年の息子が「マジでヤバい!」を連発していたので、子供にもインパクトが相当あったようだ。無関心な若者のハートも鷲掴みにした初日の出であった。

そのまま箱根神社での初詣の後、小涌園近くの旅館にチェックイン。そそくさと着替えを済ませると、目の前の国道1号線へ飛び出す。それは、その翌日に、関東の選ばれし23校が駆け抜ける駅伝を控えた箱根路だ。東洋大の柏原選手、そしてその前は、順天堂大の今井選手が、山の神と崇められることになった、あの伝説の5区、山登り区間だ。今年は2年前に走って以来の2度目の挑戦。

国道一号線で最大傾斜となる恵明学園

国道一号線で最大傾斜となる恵明学園

やはり”天下の険”は甘くなかった。
5区の中でも、最も難所と言われる小涌谷から芦ノ湯の急坂は、異常である。その辛さは何にも例えられない。僕は、4km以上上り続けたが、それは永遠に続くようにさえ感じた。そしてやっと、前が開け、峠の頂上にさしかかったと思えたそのときから、容赦ない向かい風が襲った。止まってしまうどころか、後ろに進むんじゃないかと思う程の突風だ。そしてこの写真は、坂を上りきった国道一号の最高地点。

国道一号最高点874m

国道一号最高点874m

そこから先は、芦ノ湖までを一気に下る。「ここで下るってことは、帰りにまた上るんだよな…」と、恐怖を感じながら。(ちなみに2年前は、この恐怖に勝てなかったのと、御神酒が効いていたこともあり、最高地点から、志半ばで折り返した。)
そして、やっと辿り着いた芦ノ湖の往路ゴール。もう既に翌日のための準備が始まっていた。ここまでの距離は、9.2km。

往路ゴールの芦ノ湖。翌日の準備がされていました。

往路ゴールの芦ノ湖。翌日の準備がされていました。

帰り道は、日が暮れ始め、寒さが増してきたものの、下りメインなのと、さっきの向かい風が追い風に転じてくれたので、全然苦しいと感じなかった。ただし、急坂を下るのは、足腰に来る。6区の選手が、その凄まじい下りの衝撃を吸収するために、走り終わると、足の裏の皮がめくれ上がってしまうというのも納得。結局18km余を走りきり、その夜は温泉で身体を癒した。

翌日の1月2日、午前8時に大手町をスタートした23校は、15km地点である蒲田のTSS本社前を、その44分後に通過してしまう。平均時速約20km/h、50mなら9秒の計算で、それはもはや小学生の猛ダッシュである。だから、4回の襷リレーを経て、約100km地点に位置する小涌園前には、午後1時までに到達してしまう。5人が力を合わせれば、100kmを5時間以内で走れる人間。驚きだであると同時に、とても美しい。

我が明治の横手くん。残念ながら、区間順位18位で、4区までの4位から7位に後退。来年はリベンジ!

山を上る、我が明治の横手くん。残念ながら、区間順位18位で、4区までの4位から7位に後退。来年はリベンジ!

結局、優勝は東洋大学。ブッチ切りと言ってもいい。
しかし、なぜそんなに強いのか。それは、個々の順位を見れば明らかである。
10区間の各大学の区間別順位は、
1位 東洋 :1位5人、2位0人、3位3人、4位2人
2位 駒沢 :1位1人、2位4人、3位3人、4位0人、5位1人、6位1人
3位 早稲田:1位1人、2位2人、3位0人、4位0人、5位3人、以下7,9,10,12位 1人
6位 明治 :1位1人、2位2人、3位0人、4位1人、5位2人、以下8,14,19,22位 1人
要するに、東洋は全員速い。一番遅くても区間4位なのだ。駒沢も凄いが、東洋のコンシスタンシーにはとても敵わない。プロ野球でいうと、東洋だけオールスターチームで戦っていたようなものだ。東洋が斯様に強くなったのは、最近の出来事で、12年前は出場すらしていない。しかし、今年も含めた過去6回は1位4回、2位2回と、ほぼ独壇場だ。4年周期で選手が入れ替わる中、この速さを維持できる秘訣は何なのか?

それは、選手育成の賜物だと思う。そもそも駅伝は10人で走る。いくらスター選手がいても、1人が1区で稼げるのは、せいぜい2分程度だ。そして、その選手の調子に全体が左右される可能性がある。それよりも、1人15秒で、全員の合計150秒の方が、現実的だし、安定した成績が収められる可能性が高い。柏原や設楽兄弟など、確かに、東洋にはスター選手がいた。しかし、他の選手の実力も総じて高かった。12年前の出場すらしていない時から、計画的かつ地道に選手を育成し、6年後に初優勝を飾り、その後も、そのレベルを維持・向上させている。そして、それをすることで、常勝東洋のイメージが定着し、高校から良い選手が入りやすくなる。完璧なる勝利のスパイラルだ。

そして我が社に思いを馳せる。
そもそも、我々にとっての勝利とは何か。それは、自分達が立てた目標を達成することである。勝利の喜びと同等の価値を与えてくれるような、高く険しい目標でなければならない。
そして、その目標を達成するためには、東洋大のように、速い選手(イケてる社員)を揃えなければならない。それには育成が必要である。昨年から、本腰を入れ始めた教育制度改革だが、年始の箱根駅伝を見て、それを実行する決意を新たにした。

盛りだくさんのお正月。2014年が、TSSと自分と皆さんにとって、エキサイティングな1年になることを心より祈る。

TSS撮影スタジオ(今日子と修一の場合)

カチンコはなかった。
最近の映像のデジタル化で、絵と音のシンクロ作業が不要になったからということらしいが、映画の撮影といえばカチンコというイメージだった僕にとっては、ちょっと見たかった光景。かつて、自分も映像の仕事をしていて、スポーツの映像を扱っていた。カチンコを使うような撮影現場ではなかったが、撮影には若干の知識があった。果たして、映画撮影の現場は、緊張感が違った。撮影現場であるウチの会社は、カチンコなしでも、ピンと張りつめた空気で満たされ、別のフロアで仕事をしていても、それが伝わってくるほどだった。

大切なお客様である会社の社長からメールをいただいたのは、昨年の冬のある日だった。社長のご友人である奥田瑛二監督が、映画を企画しており、その撮影現場として、ウチの蒲田工場が候補とのことだった。

かくして、それは現実となった。後日、社長と奥田監督が、本当にウチの工場にお越しになられ、ひと通り工場内をご覧になられた。しかし、「まさかウチで映画を撮るわけないよな」というのが、正直な気持ちだったので、後日、正式に撮影を行う旨のご連絡をいただいたときは、あまり信じられなかった。

お盆前の真夏に、TSS蒲田工場の6フロアのうちの4つを使って、約2週間にわたり撮影は行われた。ウチの近年のコスト削減策として、人的資源を富山に集中させる会社の方針により、蒲田工場の半分が有休状態だったので、業務に与える影響は、あまり大きくなかったが、それでも30人程の人員が働く工場内での撮影は、簡単ではない。特に気をつかったのは音だった。スタッフの方からのリクエストで、館内放送はもちろん、撮影中の階はもちろん、上下の階でも電話が鳴らないようにしたし、着信音を最小限にしたりした。社員の移動も制限し、極力撮影しているフロアに近づかなかった。

実は、件の社長も俳優として出演している。なかなかお会いする事ができない方なので、お話をする絶好のチャンスだったが、撮影現場の緊張感を崩したり、演技への集中を邪魔せぬよう、コンタクトは可能な限りしないようにしていた。

10月5日(土)に公開された「今日子と修一の場合」を観た。
最初のシーンで、なぜ、撮影中にあそこまで音に敏感だったのかがわかった。歩く靴の音、服を脱ぐ音、ものを取り出す音、コップを置く音、登場人物の行動に伴う、生活音が緻密に表現されている。

僕がよく観る映画は、「今日子と修一の場合」とはほとんど真逆の、サスペンスやアクションなどの娯楽系エンターテイメントの洋画である。効果音とムードを盛り上げるBGMがてんこ盛りのそれらで、現場の臨場感ある音を意識させられたことはない。しかし、この映画では、奥田監督がスクリーンを通してオーディエンスにメッセージを伝える上で、音がとても大事な要素になっているのと感じた。

内容は東日本大震災を題材とした、男と女のヒューマンドラマだ。
生と死がテーマであり、どうそれに向き合うのか、男と女がそれぞれの人生で、生きることの意味をみつけてもがいている、という感じだろうか。観終わったあと、かなり考えさせられる。奥田監督の独特な世界観が表現された映画で、よく僕が使う薄っぺらい形容詞では表現できない。是非映画館で観て欲しい。

TSSは、主人公である修一(柄本佑)が勤める町工場という設定で、現場はユニフォームも含めてほぼそのまんま。ウチのロゴもたくさん登場。一番の驚きは、お客様の社長が、その町工場の社長という設定で出演し、とても初めてとは思えない演技をされていたこと。多くの名優が出演するこの作品の中でも、決してひけを取ることのない存在感だ。

撮影期間中は、出演される役者さん15名程度に対して、スタッフの方が50名以上いただろうか。ウチの工場が、映画の中で、シーンとして使われている時間は合計で30分くらいだが、合計の撮影時間は約2週間。映画の撮影が、これほどまでに大掛かりで、人と時間と労力を費やさなければならないものだとは想像がつかなかった。

このような素晴らしい作品の中で、修一(主人公)の人生を描写する際の背景として、TSSがお役立てたことが、とても嬉しい。奥田監督とお客様の社長には大変感謝している。

左のベージュのジャケットの方が奥田監督。中央は柄本佑さんと小篠恵奈さん。 ちなみに、ここはウチの近所の別の工場です。工場の外見はこちらが使われ、中がウチです。

左のベージュのジャケットの方が奥田監督。中央は柄本佑さんと小篠恵奈さん。ちなみに、ここはウチの近所で、別の工場です。工場の外見はこちらの工場が使われ、工場内のシーンがウチのものです。

建物の価値

建物には、目的がある。そして、それは普通、その外観を通して知ることができる。マンション、レストラン、デパート、ショールーム、オフィスビル、役所、公民館、消防署などは、一目瞭然。

二階建てのレインボーブリッジ、一階の下道の方から自宅に帰ると、旧海岸通りを通る。芝浦から札の辻に方向へ向かう時に、八千代橋という交差点を右折する。その右折レーンで、信号待ちをしているときに見えるビルが、昔から気になって仕方がなかった。まず猛烈にカッコいい。そして、建物の目的が何なのか、全く見当がつかない。

敢えて言うなら、そこに存在することそのものが目的であるかなように、強烈なオーラを放って、そのビルが立っているのである。

特に夜その存在感を放つSHIBAURA HOUSE

特に夜その存在感を放つSHIBAURA HOUSE

住居?こんなに丸見えじゃ住めない。生活感も全くない。
ホテル?そもそも部屋が見あたらない。
レストラン?食事をしている人はいない。
オフィス?誰も働いているように見えない。
ショールーム?何も展示されていない。
博物館?にしては小さい。
ブティック?でも肝心の洋服がない。
カフェ?のような気もするが、看板も商売っ気もない。
でも、人はいつもたくさんいる。

その前を通るたびに、僕の頭の中は??????が充満していった。

そして先日、その謎が解けた。

株式会社広告製版社の伊東社長とは、銀行が主催する経営者の会の勉強会で、お会いした。そして、あのビルが広告製版社さんのもので、その名前が”SHIBAURA HOUSE“だとわかった。先日は、その勉強会の一環で”SHIBAURA HOUSE“に伺い、伊東社長のお話を聞いた。

まずそのデザインは、かの安藤忠雄氏や丹下健三氏も受賞した、その年の世界で最も優秀な建築家に与えられる「プリツカー賞」の2010年受賞者である世界的建築家妹島和世氏によるもので、全面ガラス張りの透明な外装に、壁の存在が最小限の中味。とてもクリーンで大胆な外観と構造。

そして、ぶっ飛んでいるのはデザインだけではない。
1階の「リビング」はフリースペース???!!!で、フードとドリンク持込可!?と、いきなりわけがわからない。2・3・5階はレンタルスペースで、誰でも借りることができる。そして4階だけが広告製版社さんのオフィス。各フロアにコンセプトがあり、それぞれが個性的でクリエイティブ。僕も今度、会社の会議をここでやりたくなった。良いアイディアが出そう。

大通りに面していて、オフィス街のど真ん中、目の前には大手のホテル。所謂土地資産活用という観点で、この建物の立地条件と容積から算出される経済価値を考えると、おそらく世の中の、ほぼ全てのオーナーは、マンション、ホテル、テナントビルなど、現実的な収益を得られるスペースの運営を選ぶだろうし、それなら銀行も喜んで建設費を貸してくれるだろう。

しかし、”SHIBAURA HOUSE“は違う。目先の賃貸料は追わず、社会と地域のアイコンとして、世の中にメッセージを発することを選び、地元社会に貢献し、何よりも、経済前提では得られないであろう、”楽しいスペース”を創造した。でも、この世の中には、まだ”楽しいスペース”なんてものを評価する指標も方法も無い。そんなものは、ただの粋狂だと言われるのが関の山である。だから、普通の経営者ならこんな怖いものは建てられない。

広告業界というデザインが重視されるフィールドにおいて、この建物が、そのビジネスを活性化させるという役割を果たし、地域のランドマークとなり、口コミでネットを通じて情報発信がされているという。

ここまで書いて気づいた。僕自身まだ理解していない。この建物の本当の価値を。
この意味不明の美しい物体は、複雑に多様化されたビジネスや情報の社会において、メッセージを放つ。「みんな本当に幸せか?本当に大事なのはお金じゃない。心だろ?」と。

経済も大事だし、精神的幸せも大事。どうすれば両立できるんだろう?と考えている、まだまだ迷える子羊の僕に、伊東社長から、最後にとどめの一言。
「どうせやるなら中途半端はダメですよ。やりきらないと。」

深い。