異業種5S

ある日曜日の夕方。
次男とカミさんは、野球部の集まりで外食。珍しく僕と長男が、家にふたりきり。どうするか?と悩んだ挙げ句、「美味しいとんかつでも食いに行こう!」と、目黒の「とんき」へ。

全国に暖簾分けの店をもつ「とんき」の総本山。前回の来店から10年近く経っているだろうか。元々、混んでいるのは覚悟の上だったが、日曜の19時は余計に混む時間帯なのだろう。店内は1階2階とも満席で、1階の待ち席、座っている人がざっと30人、立って待っている人が10人で、テーブルのある2階も待ち人だらけだったので、合計で70〜80人が待ってることになる。さすが名店である。

店に入るなり、カウンターの向こうにいる、品の良さそうなオジさまに、オーダーを尋ねられ、ヒレカツ定食を2つ頼んだ。実は、このオジさま、かなりキレ者であることが、徐々に判明する。

待ち席は、空いているところに座るシステムで、順番めちゃくちゃ。でも、さっきのオジさまの頭の中に、全ての情報は入っていて、順番通りにお客さんを案内する。待つこと約20分。オジさまからのアイコンタクトをもらった後、指差されたカウンター席に、息子とふたりで座る。

そこで見た景色が、これだ。

テキパキと働くスタッフの中央で、ナイフを入れるメインシェフ。周囲全面が待ち席で、階段にも立って待つ人が見える。

テキパキと働くスタッフの中央で、ナイフを入れるメインシェフ。周囲全面が待ち席で、階段にも立って待つ人が見える。

僕は感動した。

ちょっと前に、高級レストランでは、オープンキッチンがトレンドだったことがある。この店のレイアウトが、1939年の創業当時のままだとすると、時代の超最先端を行ってたこになる。油を使う揚げ物の店とは思えない清潔さ。檜だと思われる床は、ゴミはもちろん、油シミひとつない。圧巻だ。

オープンキッチンには10名程のスタッフがてきぱきと働いており、調理担当、おかわり担当(ご飯、豚汁、キャベツすべてフリー)、食器下げ担当と、先ほどのオーダーを受け案内をするオジさまなど、ほぼ完全分業制。私語も、無駄な動きもなく、仕事の質が高いように見える。中でも注目は、キッチン中央で、とんかつをカットする、かなりお歳を召したシェフだ。

僕の想像ではあるが、おそらくこのシェフが、総司令官だと思われる。メインの商材であるとんかつに、ナイフを入れ、色、やわらかさ、大きさ、温度、といった揚げ加減すべてをチェックして、皿に盛りつけているのであろう。そして、キッチンの真ん中にいることで、店内のすべてを把握し、品質をトータルにコントロールしているのだと感じた。

着席後、15分ほどして、ヒレカツ定食がサーブされる。お味に関しては、食べログのレビューにお任せするが、ここまで来ると、美味しくない訳がない。マズいものが出てきたら、逆に驚く。それくらい全てが機能的で、理にかなっている。

まったく関係ないと思われるかもしれないが、僕らの製造業も同じだ。工場を見れば、品質の善し悪しはほぼ察しがつく。ごく稀に、汚い工場が良い製品を作ることもあるが、その逆に、整理整頓が行き届き、社員の躾がなされたキレイで機能的な工場からは、品質の悪いものが出来得ない。だから、お客様は工場監査を行う。良品を作る仕組と工程を求められているのである。

整理整頓、清掃が徹底され、役割分担が明確な現場。我々の工場の理想ではないか。美味しいものを食べさせてもらえる上に、工場運営の勉強までできてしまう、お得感満載の「とんき」。長男曰く「こんな美味しいとんかつ、初めて食べた」とのことで、次の”工場見学”は、そんなに先のことにはならなそうだ。

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新しい大きな一歩

4月1日に4人の新しい仲間が増えた。日本経済も世界のそれも混沌とした状況で、彼等4人がこれから歩む道は、起伏があり、変化に富んだものになるだろう。

TSS2013の新メンバー4人。僕の脚が開き過ぎなのはご愛嬌。

TSS2013の新メンバー4人。僕の脚が開き過ぎなのはご愛嬌。

会社で働くということは、とても厳しい選択の結果でなければならない。なぜなら、価値観の共有と共感がなければならないからだ。本来仕事は、楽しくなければならないと、僕は心から信じている。価値観の合わない人と友達になることや、結婚ができないのは、それが楽しくないからだ。会社だって、自分の価値観が合わないのに、給料を貰えるからという理由で、その会社で働くのは、友人関係や結婚がそうであるように、お互いにとって不幸だ。その友達とは会わなくなるだろうし、結婚は成立しないだろうし、会社の仕事は楽しくないだろう。会社にとって、価値観を共有し、同じ目標に向かって、一緒に進むことができれば、それが険しい道だろうが、天気が悪かろうが、互いに励まし合いながら突破することができるだろう。しかし、それができていないと、少しの苦労が苦痛となり、多少の変化が、大きな壁となる。

これから、さらに厳しい時代を迎え、その中で、企業としての価値を高め、収益を上げて行く上で、品質向上、コストダウン、顧客満足など、様々な指標で評価をされるが、その根底にある、価値観の共有と、それに基づく楽しい仕事が、それを生き抜くための、最も大事なベースであると信じている。

会社の価値観とは、まさに経営者の価値観である。勘違いをしてはいけない。僕の価値観がすべてで、個々の価値観を変えなければならないのではい。むしろ、個性はそれぞれで、価値観が多様であることは、素晴らしいと思う。ただし、会社で仕事をする上で共有すべきコアな価値観は、深く共感していなければならないのだ。その点において、僕はまだまだ「共有すべきコアな価値観」を明確に提示できていないと反省している。経営計画書、四半期報告、朝礼などで、伝えてはいるが、これからは、それをより鮮明にそれを伝えていくつもりだ。

新しく4人が加わった素晴らしい仲間達と、心から楽しめる、最高の仕事をしていきたい。新入社員のみんなおめでとう。

おとなりさん

もう15年ほど前のことだろうか。
僕達はマンションに住んでいた。
長男が生まれたばかりで、まだ3人家族だった。
廊下の一番端にある部屋で、おとなりの名前はあんどーさん。

あんどーさんは、当時、小学生と幼稚園の娘2人がいる4人家族。
とても気が合って、すぐに仲良くなり、子供達は普通にお互いの家を行き来するようになった。ほどなくしてウチに次男が生まれたが、お出かけのときに子供を預かってもらうなんて日常茶飯事で、どっちがどっちの家にいても違和感がなかった。サッカーはみんなで観て大声出し、一緒にディズニーランドにも行った。こんなに良いおとなりさんがいて、本当に幸せだと、何度思ったことだろう。もう普通に家族だ。

あんどーさんの長女なほちゃんは、小さい頃から「うたのおねーさん」になるのが夢だった。いつも彼女は、外の廊下に面した部屋で、ピアノの練習をしていた。僕が帰宅すると、その前を通るので、わざと隠れながら通って、驚かしたりしたのを覚えている。

しばらく経って、ウチもあんどーさんもそのマンションから引っ越したが、幸いな事に、自転車に乗ればそんなに遠くない距離だったから、交流は続いた。なぜかあんどーさんちのピアノがウチに運び込まれ、なほちゃんが練習しに来ることもあったし、誕生日やめでたいことをみんなで祝う事もあった。東京マラソンも沿道で応援してくれた。

「うたのおねーさん」になりたいというなほちゃんの夢は、ブレなかった。最初は、小さい子供の憧れみたいなものだと高をくくっていた。しかし、近所の児童施設でボランティアをして子供の世話をし、近所のイベントなどでは、こんなところにプロが来ているのか?と思わせるようなMCぶりを披露して、中学生や高校生の頃から能力を発揮し、本気なんだと思わされた。夢を諦めない彼女は、音大に進学し、その後も、NHKの視聴者サービスで行われるイベントなどにうたのおねーさんとして出演した。「スゴい!ホントにうたのおねーさんだ」というと、「本物じゃないよ(笑)」と謙遜した。確かに、ルックスは良く、声は通るし、いつも笑顔だから、素質はあるんだろうが、それだけではない。自分を積極的にその環境に置いていたんだと思う。

先日、家に帰るとなほちゃんがいた。そして「本物のうたのおねーさんになったよ!」って報告された。自分のことのように嬉しかったが、不思議なことに驚きはなかった。オーディションの様子を目をキラキラさせながら説明してくれた。「だめもとで、今回が最初で最後のつもりだった」らしいが、この娘は、最初からこうなるってわかってたんだなと思った。

よく、夢を実現するにはゴールから逆算して、今何をするか考えろとか、目標を明確にして、計画を立てれば、必ず達成できるとか言うが、本当にそうすればできるのか?ほとんどの人が、それを実現できていないのが現実だと思う。なぜかといえば、所詮そんなのはテクニックの問題で、大事なことは、どれだけその夢や目標に対して強烈な思いを持てるかどうか。自分の意志を働かせることができるかなのだ。うたのおねーさんも、経営者も結局同じだ。

女優になる、歌手になる、アナウンサーになるということも、すごく大変なことではあるだろうが、それでもかなりの数の人がなれる。でも、「うたのおねーさん」って、年間ひとり?とか、そんな確率だ。「ムリだ」とか、「また言ってる」とか、嘲笑や、”普通の就職”や世の中の常識、誘惑など、彼女の道を阻む日常の障害が、どれだけあったのだろうかと容易に想像できる。普通の人なら諦めると断言できる。でも、彼女は、小さい頃から、強烈な思いを持ち続けた。そして絶対に諦めなかった。

この出来事では、また彼女に学ばせてもらった。

がんばれなほちゃん。ウチの誇りの娘だよ。

http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20130306-1094066.html

ほとんど経験がない彼女をNHKが抜擢するのは、異例中の異例ということらしいが、なおちゃんはなるべくして「うたのおねーさん」になりました。

ほとんど経験がない彼女をNHKが抜擢するのは、異例中の異例ということらしいが、なほちゃんはなるべくして「うたのおねーさん」になりました。

東京マラソン 3回目

このブログでは過去何回か、走ることについて書いた。

何故走るのか。

正直なところ、今まで、楽しくも、気持ちよくもなく、達成感もなかった。
普段のずぼらな自分に対して、走るというタスクを課し、それをクリアすることで、自分自身を正当化していた。だから、タスクであれば、走ることでなくても良いのだが、健康と体型維持という副産物もあるので、走った。その走るタスクは毎回レベルが上げられた。1kmができるようになったら2km、1kmを6分ペースで走れるようなったら、5分45秒へと上げる。それを着実にこなすことは、会社という個々の集団をコントロールすることの難しさと比べれば、自分自身だけの問題なので、とても楽にでき、課題をクリアすることに対する快感があり、より厳しくなったタスクをクリアし続けることは、ずぼらじゃない俺だっているんだという、自分自身の生きる証明でもあった。

最初と去年の東京マラソンは、4時間を切るという、その”走るタスク”のかなり高めな設定をクリアする場所だった。最初の年に4時間31分でゴールした時、30km以降のあまりの辛さに「もう二度と走るものか」と思ったが、その30分後には、自分自身の証明ができなかったことに気づき「絶対にクリアしてやる」と悔しさが湧いてきた。そして2年目の去年は3時間58分というギリギリのタイムだったが、何とか4時間を切り、ミッション完了で、走るのはもう程々に、と思っていた。だが、3日後にはもう走り始めていた。

でも走ることで得たいものが何なのか、しばらくわからないまま、とりあえず惰性で走り続けた。惰性だから、朝早いのとか、夏暑いのとかに対する突破力は全然ない。8月の月間走行距離はたった20kmだった。

10月に東京マラソンの抽選落選を知り、すぐにチャリティで走ることを決めたときも、何で出るのかよくわかっていなかった。ただ4時間は切りたいと思った。理由は、単に恥ずかしくないから。そして”走るタスク”のハードルはまた上がり始め、10月の距離が軽く100kmを越えると、だんだん3時間45分とかサブ3.5が見え始め、調子に乗って負荷をかけ続けたら、怪我をした。11月と12月は100kmに満たない距離で、目標の200kmから、遠くかけ離れていた。2ヶ月前になっても、まともに走れなかった年末にサブ4は無理かな、と思い始めた。

1月になって少し回復し、距離を増やしていったが、脚の疲労を溜めず、怪我をせずに、距離とスピードを一ヶ月で上げることは難しかった。結局その月に230km近く走ったものの、あまり手応えはなかった。

そこで今回は、自分のペースで走ると決めた。辛くない程度のスピードで走り続けて、どこまでいけるか。サブ4は「出来たらいいな」程度のターゲットで、去年から比べると良く言えば、全然肩の力が入っていない。

スタート30分前。上着を脱いで預けなきゃ行けない時間。すごく寒かった。ここからスタート地点に移動。

スタート30分前。上着を脱いで預けなきゃ行けない時間。すごく寒かった。ここからスタート地点に移動。

だから、これまでの2回は、1km毎のタイムとペースを知るために、そして好きな音楽で気持ちを盛り立てるために、イヤホンをして走ったが、今回はやめた。距離やペースや心拍をモニターするランニング用の時計をしたが、ほとんど見なかった。

すると、今回のマラソンは、幸せと感謝でいっぱいになった。
普段は車がひしめく幹線道路をクローズし、そのど真ん中を走る快感。
給水所、コース整備、ホスピタリティなど1万人のボラティアの方々による、事前準備から、本番では声をからしての応援。スタートの六本木男性合唱団、防衛省前の陸上自衛隊音楽隊、皇居の皇宮警察音楽隊などをはじめ、チアリーダー、ダンスなどの一流パフォーマンスの数々。強い北風が吹く寒い冬の日に、沿道で声援を送ってくれる人々。特に40km付近でもらったリンゴは美味しかった!寒いのに手袋もしないでお盆にリンゴとみかんを載せて配ってくれていた。
家族も社員も友達も、電車で追いかけてくれたり、寒い中、みんなが応援してくれていた。
コースにはいなかったけど、毎週身体をケアしてくれた整体の先生。
走りながら、こんな幸せで良いのかと涙が出た。
今まで、どうして走っていたのか、わかった気がした。

みんな、ほんとうにありがとう。

4時間11分23秒。
散々な結果。
でも、今までとは違う、とても大切な経験をした。
これからも走り続ける。今までとは違う理由で。

今年は、東京オリンピックのサポートとスポーツ振興で明日の日本をサポートするというチャリティで走りました。スポーツと製造業で日本を元気にするぞ!ちなみに、日本地図は、カミさんのアイデアで長男が描きました。

今年は、東京オリンピックのサポートとスポーツ振興で明日の日本をサポートするというチャリティで走りました。スポーツと製造業で日本を元気にするぞ!
ちなみに、日本地図は、カミさんのアイデアで長男が描きました。

変われるか

自民党が大勝した、2012年の衆議院議員選挙。
200兆円の公共投資や、金融緩和によるデフレと円高の対策など、色々な公約が掲げられた。実際に、この選挙結果を受けて、外国為替が円安傾向に振れている。しかし、日本の政治が本当に変わることに対して、あまり期待していない。もちろん変わって欲しいと願ってはいるが。

日本を含む先進国のほとんどが、成熟しきった飽和状態にあり、成長を前提とした政策は現実味がない。特に工業先進国である日本において、我々製造業は、これまでの日本の成長を支えてきたが、今は世界的飽和と淘汰の渦の中心にいる。日本が変わってくれるのなんて待っていたら、その渦に巻き込まれて、一瞬のうちに消えてなくなってしまう。

だから、唯一できることは、自分たちが変わること。

正直、こんなに速く、世界が動くと思っていなかった。今までの作り方、働き方をしていると、すぐに飲み込まれてしまう。この変化に対応できないと、仕事なんて明日にも無くなる。別の産業だって、遅かれ早かれ、同じことが待ち受けているが、製造業は、一番最先端に立たされている。この危機感と恐怖感を社員と共有しなければならない。

では、どうしたら良いのか。

まず、会社とその社員はできるだけフレキシブルにならなければならない。具体的に言うと、場所と人である。

場所については、現在、日本には富山と東京、中国には上海と青島の工場がある。しかし、これからは、そのときの市場や、能力、物価、為替、政治、など様々な点を総合的に考慮して、地球の上で、最も価値を高められる場所で、ものづくりを行われるべきである。現在の交通と通信の発展は、地理的なハンディとリスクを小さくしており、これかもそれは縮まっていく。一方で、日本人には素晴らしい能力があり、ドイツと並んで世界一製造業に向いている人種だと信じている。だから日本人には、世界の製造業で担わなければならない責任がある。

地球を舞台にして、これまで培った技術、経験を展開できれば、TSSの社員としてはもちろん、世界の製造業で求められる人材になれる。生産工場運営とその品質管理のためのノウハウや、マシン製造工程に求められる、精密機械製造のアイディア、技術、経験を持つ人間は、日本に留まることなく、世界に進出し、その国々の人材を活用して、日本のものづくりを体現しなければならない。それは、技術を持つものの責任とも言える。

次に、人である。世界一高い水準の人件費が支払われている日本人。我々は、世界的に見ても高度なものを作っていると思うが、総ての工程に高度な技術が要求されているわけではない。というよりも、むしろ高度な技術が要求される工程は限られている。手順が明確で、教育がされているなら、技術がなくてもできる工程も多く存在している。

これまでの給与を維持するためには、少なくとも、日本で作ることの意味がある高度な技術を最低ひとつは有していなければならないだろう。そして、それ以上に成長するためには、それ以外の複数の工程をこなすことと、外国人を含めた他人を教育できる能力が必要だ。我々の業務は、忙閑の差が激しい。ひとつの工程が忙しくて、他は暇ということがある。それぞれの工程の専門家を常に準備をするということは、高水準の固定費を維持することになり、高賃金の日本において致命的になり始めている。

先に述べた、人材の国際化と合わせて、多能工化は、日本の技術を世界に広めるひとつの鍵となるであろう。その点で、最近になって始まった、他部署からの設計業務支援は、会社としてはもちろん、世界のものづくりのための大きな一歩である。これから、社内のいたるところで、こういう動きが見えてくるはずだ。

成長期をとうに終え、人間で言えば、大の大人になった日本が、自民党政権になり、国家として、国内をどう治め、世界の中で、どのような役割を果たすのか。日本人として、とても気になるが、世界は日本の変化など待たない。だから、我々は変わる。世界のスピードに対抗し、渦の中心にいても、飲み込まれぬよう。

地球は色々な意味で急速に変化している。置いていかれるな、日本。

地球は色々な意味で急速に変化している。置いていかれるな、日本。

新工場できました

11月30日、ついに我が社の新第2工場が竣工した。

今、日本の製造業は崖っぷちに立たされた上に、猛烈な逆風が吹き荒れ、惨憺たる状況である。新聞やニュースで報道される以上に、現実はさらに深刻かもしれない。そんな最悪なときに新工場?「お前はバカ?」と実際に言われなくても、思う人は沢山いるだろう。では、なぜ今新工場なのか。

約10年位前までは、周りが調子良くやっている時に、それと同調して、調子良くやれば、リスクがないと思われていたし、実際にそうだったかもしれない。そして今は、みんな調子が悪いので、それに同調して、静かにしているほうが、リスクがないと思っている人たちが多いらしい。しかしもう、高度経済成長やバブルの理論で生きるのをいい加減にやめる時期ではないか。

我々TSSには、工場が4つに分散している地理的リスクがあり、今回の工場は、それを解消することで、管理、物流、品質面での向上とコストダウンを狙った、という目的がある。さらに、既存のマシン製造工場と、部品生産工場が隣接することで、お互いの能力を引き出し合って、高め合うという相乗効果が期待できる。

しかし、今現在の分散した工場でも、やりくりしようと思えばできないわけではない。では、その地理的リスク解消の効果や部門間の相乗効果が、工場建設の経済的リスクを上回るのか。答は”YES”だと信じているが、未来のことは誰も知らない。想定外のリスクも考えられるし、やってみたら”NO”かもしれない。そして、今の世界と日本の経済や政治の状況を考えると、みんな”NO”と考えたくなるらしい。

まず、僕は人と同じことをしたくない。そして、チャンスがあるときに、それを逃したいと思わない。やってみて失敗したら仕方ないし、そこから学べば良い。しかし、やってみなければ学ぶものが何もない。

吹雪の中、体力を温存するために、うずくまって、救助が来るか、天気が回復するまでじっと耐えることも選択。無理にでも、立ち上がって、前に進み、ゴールを目指すことも選択。どちらの選択にもリスクはあるし、結果が出ないと、その選択が正しかったかどうかはわからない。しかし、これからの日本において、国や政治が何とかしてくれたり、世界の景気が突然回復して、日本に恩恵をもたらすなどあり得ない。だから、天気が回復するまでとか、救助が来るのを待つというのが、現実的であるとはとても思えない。

もちろん、工場を建てようと思っても、土地とお金がなければ建てられないのは子供だってわかる。だから我々の考えを理解し、賛同してくれた、元々の地主さん、町役場と議会のみなさん、そして金融機関のご協力なしでは、この工場は建たなかった。こんな時期に工場を建てさせてもらえるということは、皆さんから期待をしていただいていると認識しているし、成功する責任があるし、増えた借金を返す責任もある。

さて、これからが勝負である。大げさかもしれないが、危機的状況にある日本の製造業の中で、ほんの微力であっても刺激を与え続けなければならないと思っている。自分たちの利益も大切だが、色々な意味で大局的に、地域と社会と国と世界のために、僕たちには使命がある。

男前?竣工式前日の姿です。

男前?竣工式前日の姿です。

リレーマラソン2012「目指せサブ3」その2

周回の3分の2あたりにあるTSSベースキャンプ前では、F澤監督が、毎周の通過タイムをチェックしている。Aチームは、9分ペースなので、前の周から9分以内に通過すれば、3時間を切れる計算だ。そして、これまでの6人は、地道にコツコツとタイムを縮め、1分近くの貯金を築いてきた。3時間切りが、いよいよ現実味を帯びてきた。

「イケちゃうんじゃない?」

第7走のW田部は、就職の面接で「僕の趣味はランニングです。」とアピールした。そして、入社式でも同じことを言い放った。その時、W田部のAチーム入りは決定した。ランナー人口密度は、おそらく富山県下でもトップレベルにあるであろうTSSに、殴り込みをかけた新人。周囲の期待はいやでも高まった。

本当に死んじゃうんじゃないのか?という表情でW田部が走り抜けたのは、前の走者、T島が通過してから、10分12秒後だった。それまで、先輩6人が渾身の走りで積み上げた宝物の1分は、W田部によって見事に喰い尽くされた。10分前の「イケちゃんうじゃない?」のは何だったんだろうか。今年のTSS残念大賞のトップにランクインしかねない怪走だった。

生死をさまようW田部。通過に気づかないF澤監督に、O部が「ヤバいっすよ、あいつ」

そして最終8走の”オールジャパン”N坂は、これまでの安定した走りが評価され、Aチーム入りを果たしたが、今年はさらにトレーニングを積んだのだろう。W田部で崩れかけたペースを9分台に戻してくれた。目線からアクションまで、自分自身では快心のポーズが決まっていると思っていたのだろうが、その意味が最後まで何だかわからなかったのが、悔やまれるところだ。

一体何を訴えたかったのだろうか?

8人全員が1周を走り終え、タイムは9分ペースより少しだけ速かった。しかし疲れが出る2巡目には、ズルズルと遅れ、16人が走ったところで、予定のペースを30秒ほどオーバーしていた。もちろん、2巡目も先輩の貯金をW田部がすべて食べ尽くす構図に変わりはなかった。

あと4周。

我々は作戦変更を余儀なくさせられた。その名もK坪2周作戦。社長の特権で、過去3年に引き続き、僕のアンカーは決まっているので、それまでの3周を実績あるK坪-T谷-K坪と繋ぐ。もう、なりふり構っていられない。確実にタイムをゲインして、3時間に近づける方法はそれしかなかった。

果たして2人はその3周でトータル30秒近く縮めて、僕に最後の襷を繋いでくれたのだった。

正確なタイムを知らなかったので、自分がどれくらいで走れば良いのか知らなかった。でも、何となく無理だろうと思っていたので、ちょっとあきらめテンションで走り始めた。既に全力で2周、4km以上走っていたので、それでもキツかった。そして、どうせダメなんだから、もっとゆっくり走っちゃおうかな?と思ったそのとき、コース途中にある世界一美しいスターバックスの時計が12時56分を指していた。10時1分スタートだから、時計が正確なら、3時間まであと5分弱。そしてゴールまで1kmとちょっと。

「えっ…頑張ったら行けちゃうの?」

これは最悪のシナリオだ! どうせなら、もう絶対無理!っていう時間か、すごく余裕のある時間か、どっちかにして欲しかった。こんなんじゃ、最後まで頑張らなきゃいけないじゃないか。ともすれば、W田部ではなく、僕のせいで3時間切れなかったことになってしまう。

走った。とにかく走った。

ヤバい!あと1分を切ってる。

口から肺が出るんじゃないかと思った。 ヘアピンは、出来るだけ大回りして、スピードを落とさないようにした。 みんなの前を通ったとき、もっとテンション高いのかと思いきや、あまり興奮してないし、盛り上がってない。もう無理だから諦めてるのか? それとも、ただ無関心なだけなのか?最後のコーナーを曲がって、上り坂のテッペンにあるゴールを目指す。ゴール横にある時計が、チラッと目に入った。

13:00:51

一瞬、ダメだったかっ!と思ったけど、1分遅れでスタートしていたことをすぐに思い出す。結果は2時間59分51秒。目標達成!ゴールにいたK坪が、「やりましたね!」と言ってくれた。少なくとも、気にしてくれている奴が一人いた。

職場部門221チーム中27位、総合508チーム中62位。(去年はそれぞれ165チーム中23位と378チーム中56位。) 昨年の職場部門10位は2:56:21だったが、今年は2:47:26。 チーム数が増え、レベルも上がった。 来年は15分縮めないと、ベスト10は狙えないだろう。ということは、1周あたり平均45秒縮める計算か… みんな、来年は全員8分前半狙いだぞ!まずは自分だけど。

他のチームの結果は、Bチームのほうが4時間を切ったが、ハーフのCチームは2時間を少し超えてしまった。その元凶、CチームのK玉は、TSS全参加者中で最遅ラップという不本意な記録を残したにもかかわらず、最後の抽選会でダイヤのネックレスを当てた。10万円相当らしい。そんなもの貰っても、入社時比較で30kgは増えたであろうその体重を元に戻さないと、あげる相手もいないので、ダイヤの持ち腐れだ。後輩N山を見習って欲しい。

いよいよ無差別級に突入のK玉。痩せないとプレゼントできない10万のネックレスと。

リレーマラソンは、みんなと一緒に参加できる。そして走っていない時間には、みんなと話ができる。同じゴールに向かって走る。最後にみんなで焼き肉を食べられる。会社では見ない表情、できない会話、違う達成感。

こういうみんなと仕事ができることが、誇りだし、幸せだと思う。ありがとう。

そして、最後にW田部、ありがとう。
君のおかげで、最高のスリルを味わえたよ。

毎年恒例の焼肉打ち上げ。走って削った脂肪を補充する。