念願叶う

本来であれば、5年半前の3月13日に行われていた、TSSの野球大会。しかし、3月11日に日本を襲った悲しい出来事によって、中止になってしまった。その後は、日々の業務の忙しさから、なかなか復活されることがなかったが、先日11月5日に、やっとその念願叶い、富山県入善町で、東京から来た社員を含め、二十数名で開催された。

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試合前の両軍選手たち。ホームベースがなかったら、これから野球をやるようには見えない。

100人以上の社員がいる富山チームは、人材が豊富であるのはもちろん、若さという圧倒的アドバンテージがある。中には、かつて強豪社会人チームの4番を打っていたという強者もいるほどだ。一方の蒲田チームは、事業所の規模が小さいのと、東京から来なければならないというハンディのために、参加者が少なく、平均年齢も若干高い。野球経験者の割合は多いらしいが、富山チームが有利であることは、明らかだった。

当初は、富山で2チームを構成して、合計3チームの総当り戦で、勝敗を決めようという企画だった。
しかし、特に第2工場の生産をしているチームは、シフトなどの関係から、参加することが難しいために、富山も1チームとなった。(実際には、1試合を終わらせるのがやっとで、3試合など、時間的にも体力的にも、到底無理だった。)この日も、工場でがんばってくれている社員がいてこそ、このイベントが実現していたのである。ありがとう。

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何の応援をしているのかわからない光景だし、蒲田チームのベンチということもわからない。

試合は、なかなかストライクが入らないとか、キャッチャーがしょっちゅう後逸するとか、それが理由で盗塁禁止とかで、完全に草野球だった。でも、すごく楽しかったし、仕事ではなかなか見ることができない笑顔が沢山あった。

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好機での三振にひどく落ち込むU田くん。ちなみにコスチュームのコンセプトは”ゴルファー”らしい。

だから、結果など、本来どうでも良いのだが、勝負事になると、自分も含めて負けず嫌いになって、ムキになる人たちばかりだ。だから、あえて言うと9-7で蒲田が勝った。大方の予想を覆す番狂わせである。負けるつもりなどサラサラ無い富山の一部社員は、悔しくてたまらないらしく、既に再戦を企てていた。

その晩は、打ち上げが開催され、野球の話に盛り上がる、とても楽しい会になった。悔しさの収まらない富山チームと、それを上から目線で煽る蒲田チームは、どこまでが本気なのかわからないギリギリの線で、お互いの検討を称え合って(罵りあって?)いた。

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表が蒲田、裏が富山。しかも8回は、富山のみの攻撃。まあまあ、いい試合じゃないか。

ちなみに、僕はサードでスタメン(9人しかいないから、スタメンは当たり前)。そして、6回から、リリーフし、試合終了までの3回を投げた。全然投げていなかったので、翌朝は、肩も肘もバキバキなのはもちろん、全身筋肉痛になったことは言うまでもない。やはり野手と投手では、疲労度が違うということを改めて実感し、こんなところで大谷の二刀流の凄さを思い知るのであった。

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勝った蒲田チームのメンバー。しかし、うち4人は富山からのレンタル移籍メンバー。しかもS原は、途中で負傷退場。蒲田で9人組めたらいいなあ。

これまでも、リレーマラソンや、スキーなど、何人かの社員と一緒にイベントに参加したことはあるが、TSS社員だけで行ったイベントは初めてだし、応援の女性社員を含めて、25人以上が集まるのも初めてだと思う。参加してくれたみんなには、とても感謝している。会社では、なかなか見ることのできない表情は、嬉しい新たな発見だし、楽しいことを一緒にやるということがこんなに大事なのかと、あらためて感じた土曜日だった。

次回開催は、春とのことだが、そのときには、もっと沢山の社員と、その家族も来てもらいたい。こんなに楽しくて、社員の結束が強まるのだから、忙しいのは承知のうえで、もっとこういうのをやりたい。とても嬉しく、楽しい土曜日だった。

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試合後のグランド整備。こういうのをみんなでやるのもいいんだなあ。

2016年の新入社員

今年も、入社式の季節がやってきて、新たに3名が入社した。
今年の就活は、超売り手市場という、彼らにとって色々な選択肢がある状況の中で、ものづくりをしたいという熱い想いを持って、TSSを選んできてくれた。

27年前、かつて自分が大学を卒業したバブル時代にも、就活は、超売り手市場といわれていたが、そのときとは様子が違う。それは、自分が売り手側から買い手側になった違いだけではなく、今の日本のものづくりが当時とは違うのだ。

世界にその名を轟かせていた電機メーカー各社は、誰にとっても、あこがれの就職先だった。将来を約束され、人生が保証されると、本人も家族も思っていた。そして、たった四半世紀後に、その多くが、経営難、リストラ、粉飾決済、事業売却といった、それぞれ問題を抱える事態に陥った。

しかし、それは日本のものづくりが、否定されたわけではない。TSSの作るものは、カスタムメイドの精密機械と、工場としてそれを動かす仕組みだ。緻密な精度が要求されるそれぞれの作業は、気が遠くなる程の細かい調整、何度も繰り返される検証、高度に制度化された不良品を作らない工程などに裏打ちされている。あくまでも個人的な経験に基づく私見だが、これらは、日本人が最も得意とすることである一方で、世界の多くの国の人が不得意とすることだ。だから、日本人としてものづくりに携わるということは、素質や能力というスタート地点においては、世界のトップクラスにあると思っている。ある意味フライングだ。

日本人が日本でしかできないものづくりがある。日本の持つ文化、気質、特性を活かして、それを最高品質の製品もしくはサービスとして世界に提供し続けることは、製造業に携わる我々の責任だと思っている。今年から活躍する3人には、ものづくり日本代表として、世界の感動と幸せのために働いてもらいたい。

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今年もがんばって脚を閉じてみましたが、それでも開いてる。

2016年が始まった

あけましておめでとうございます。
少し遅くなりましたが、お正月のお話。

田中家は、隔年で正月を箱根で過ごす。
元旦の朝、5時前に家を出て、初日の出を拝み、箱根神社で初詣をし、昼食を芦ノ湖畔でとったら、宿にチェックイン、というのが、大体いつものルーティーン。そして宿の温泉に入る前にすることがある。それは、箱根駅伝を翌日に控えた、元旦の箱根路を走ることである。

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2016年のご来光。でも水平線からは見えなかった。残念。

今回の挑戦は3回目。ルートはおなじみ箱根駅伝往路5区の山登り区間の中間地点、小涌園付近からスタートして、約5kmの山登り区間、国道1号線最高地点を越えてから約2.5kmの下り、そして芦ノ湖畔の平坦区間2kmの合計9.5kmを走って、往路ゴールで写真撮影をしたら、そのまま6区の選手さながら復路スタートを決めて、同じ道を戻ってくる合計19kmという、かなりマニアックかつ過酷な走り初めである。

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「2時間14分」はGoogleの徒歩でのルート検索結果。

今までは、孤独の箱根路だったが、今回は何と!息子二人が参戦するのである!長男高3、次男高1で、ふたりともバレーボール部に所属しているため、普段から運動はしている。どうやら、親父を負かしたいらしい。しかし!いくらあと1年で50歳とはいえ、こちらも週に2回は走り、毎年フルマラソンもしているし、一応サブ4ランナー。到底勝負にもならない…はず。

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スタート前、余裕の3人。勝つ気満々のお父さん。

彼らにとっては初めてで、道が細く、自動車の通りも頻繁にあるので、往路は私を先頭に、一列でゴールまで向かい、ルートがわかった復路は、自分のペースで走ることにした。
どんなに走っても前に進まないこの坂。二年ぶりだ。息子たちの背後からのプレッシャーを感じながら、まずは5km先の国道1号最高点を目指す。今年も箱根の坂は、険しく、曲がりくねり、某共産主義国の将軍のごとく無慈悲だったが、暖かくほぼ無風の天気だけが、僕の味方だった。

最高点からは、2.5kmの下り。できるだけ重心の移動を止めないように気をつけて走ると、すごいスピードが出て気持ち良いのは良いが、帰りに、またこれを登るのかと思うと憂鬱だ。そして意外にキツいのは、芦ノ湖に出てからだ。湖が見えたら、もうほとんどゴールだと思っているのに、そこからダラダラと平坦な道を2kmも、坂道で疲れ果てた身体に鞭打つのだ。

やっとのことで辿り着いた往路ゴール。普段こんな距離は走らない上に、強烈なアップアンドダウンを経た、9.5km先の往路ゴールは、相当な達成感だったようだ。今まで見たことのない笑顔だった。

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往路ゴール!すでに翌日の準備はほぼ完了。遠くに富士山。

今年は東京マラソンに走れないことが確定したことで、例年より走り込みが少ない僕にとって、もうすでにかなりのダメージ。そんなことは予想されたので、奥さんには、あらかじめ「あいつらが危なくなったら、芦ノ湖まで車で来てね?」と息子のせいにした救助作戦を企てていたが、正月の箱根の渋滞が激しいことと、お正月の乾杯モードから脱することのできない彼女は、早々にその可能性を全面否定していた。甘えを一切許さぬ、愛のある妻である…

ということで、一縷の望みも途絶えた復路がスタート。最初の湖畔の2kmの時点で、脚にきていて「ヤバい」と思いつつも、何とか二人を従えて走る。しかし、登りに入った瞬間、脚が動かず、全然進まない自分を認めざるを得ない。一方、後ろでピンピンしているふたりをビンビンに感じる。仕方なく「じゃあ車に気をつけて先に行きなさい。車に気をつけるんだぞ。」と父親ぶって、彼らを先に行かせてみた。幾ら何でも、そんなに差はつくまいと思った矢先、ふたりは瞬く間に視界から消えていった。

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ストップウオッチに手をやって、復路スタートの選手になりきる息子たち。

孤独の山登り2.5kmはキツかった。行きは、登りながら「キツいだろ?」とか言いながら、苦しさを紛らわすことができたが、そんな話相手もいない。苦しくて何度も止めたくなったが、父親の意地もあって、2.5kmの坂を登り続けた。坂の上には、芦ノ湯の通過ポイントとして知られる1kmほどの視界が開けた直線があって、その先は一気に下りだ。やっとそこまで辿り着いて、少しの達成感を得たものの、その広い視界に息子ふたりの姿がない現実を受け入れるのは、複雑な気持ちだった。

下りで挽回と思い、重心の落ちていくままに、脚を振り出して前に進んだが、ついに彼らの姿を捉えることなく、宿に到着。
私:「お疲れー!何分待った?」
長男:「うーん、10分くらいかな?」
私:「マジ?(絶望の表情)で、お前(次男)は?」
次男:「途中で、(兄を)目の前まで追いついたけど、最後離された!」
私:「マジ?(絶望の表情)」
長男:「正確には9分くらい待った。」
私:「マジ?(絶望の表情)」
下りは5分弱/kmのペースで走っていたので、2km近く離された計算だ。

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ゴール後の3人。私の心の中は複雑。

惨敗である。息子達は、日本一有名な山岳コースを19km走破した達成感と、親父に圧勝した喜びで、とても良い笑顔をしていた。
後で次男に確認したところ、部活で走るのは週1-2日くらい。しかもせいぜい2-3kmだそうだ。19kmはおろか、9.5kmなんて距離を走ったこともないそうだ。長男にいたっては、秋に引退して以来、運動の類は一切していないというから驚きだ。月に50-100km近く走っている僕が、そんな奴らに負けるって、どういうこと?
そういえば、昔(といっても10年位前)、走り始めの頃は、走るたびに速くなっていったし、走れる距離もどんどん伸びていった。しかし今は、月100km程度の走行距離では、現状維持が精一杯。能力を上げようと思うと、さらに負荷をかけなければならず、身体の負担が増える。そうすれば当然怪我のリスクが高くなる。プロ選手にとって年齢が大きな壁となるのは、よーくわかる。

勝負に負けたこと自体はすごく悔しい。
一方で、何故だか喜びがふつふつと湧いてくる。
息子ふたりと、全く同じ条件で勝負して、完膚なまでに叩きのめされることが、親としてこんなに喜べることだとは知らなかった。あんなに小さくて、歩けもしなかった息子が、今や文字通りの上から目線になることが、そして普通のオヤジより頑張っていると思われるランニングで、負かされることが、こんなに幸せだなんて知らなかった。息子たちも、ガチで戦って親父を破ったことは、何かの自信になるのだろう。

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我々が走った翌日の箱根駅伝。トップ快走の青山学院神野くん。やっぱり速い!明治は遅かったから載せない!来年がんばれ!

元旦の神聖な箱根路を息子達と走り、ぶっちぎられる幸せ。僕と息子達の人生は新たなフェーズに突入した。幸先の良い2016年は素晴らしい年になりそうだ。

むかつくから、今度はスキーで勝負だ!

無限の可能性

すっかり遅くなってしまったが、入社式の話である。

昨年1月に、広島のポエック社とジョイント・ベンチャーで立ち上げた、株式会社Amnosは、「ハイパードライ羊膜」という特殊な方法で乾燥された羊膜を製造販売するための会社だ。羊膜とは、母体のなかで胎児が育つ羊水を包む袋の皮である。この羊膜は、受精卵が子宮に着床した直後にできる、妊娠初期の非常に未分化な細胞からできている。言い換えると、これから脳、背骨、内蔵、四肢など、何にでも変化することができ、急激な成長をしようとしている細胞なのである。

この羊膜は、代用膜となる。例えば、火傷の際に、自分のお尻の皮膚を移植する代わりとなる。目の角膜に疾患を持つ患者さんが、ドナーの非常に少ない角膜バンクからの提供を待たずに、角膜の手術を受けられる。難治性の耳の疾患で鼓膜再生手術の際に、手術のリスクが高くなるのを防ぐなど、多くの分野で、その有用性が認められている。生の羊膜では、取り扱い、保存、輸送の全てに問題があったが、ハイパードライ羊膜はそのすべてを解決し、生羊膜とほぼ同等の能力を維持している。

少し宣伝になってしまったが、書きたかったことは、TSSの新入社員はもちろん、世の中すべての新入社員は、この羊膜と同じ「未分化な細胞」だということだ。社会人としてスタートを切るこの時は、何にでもなり、何でもでき、急激に成長できる可能性を全員が持っている。

これからの世界において、保証されたものなど何もない。戦後から高度経済成長、バブル期までの日本では、皆ががむしゃらに働くことで、皆が報われた。社会全体が同じ方向に進み、働けば働くほど、成果となり、報酬を得ることができた(のだろう。学生だった自分の推測)。皆と一緒に大きな船に乗れば、少なくともその時より良いどこかに行けた。しかし、その大きな船が迷走したり、沈没したりしてしまう今、どんな大きな船も安全ではなくなった。一人ひとりが、まず自分自身のアイデンティティを確立させ、自分の乗る船の行き先を認識し、共感し、その中で明確な役割を全うしなければ、今よりも良いところに行けなくなっている。何よりも自分自身で生きていくことのできる強さを身につけなければならない。

誰にでもなれて、何でもできる、羊膜のような可能性を持つ今年入社した4人の新入社員。みんなが、「TSS号」クルーの一員として、自分探しの旅に出た。この船は決して大きくないし、これから進む航路は、荒波も嵐も待ち受けている。何でこの船に乗っているのか、どこを目指しているのか、どうなりたいのかを探していかなければならない。ただ乗っているだけでは振り落とされてしまうのだ。そして、それは他のどの船も全く同じでなのである。TSSと世の中のすべての新入社員の皆さんの成長と発展を心から願う。

今年の新人4名です!

今年の新人4名です!

東京マラソン Vol.5

今回で5年連続5回目の出場となった東京マラソン。

楽しかった。

実は、過去4回、一度も楽しくなかった。
正確には、楽しいは楽しいが、辛い方が勝ってた。
「じゃあ何で走るの?」と思われるだろうが、それを一番知りたいのは自分だった。
しかし、今回は楽しかった。
なぜなのか。

過去4年の成績は、
2011年 4:31:25
2012年 3:58:32
2013年 4:11:23
2014年 4:04:59(以上、全てネットタイム)

ということで、2012年以来、サブ4(4時間以内のタイムでフルマラソンを完走すること)から遠ざかっている。原因(言い訳)は様々で、2013年は、怪我したとか、2014年は直前に風邪をひいたとか、要するに自己管理がなってないわけである。さらに、日本陸上競技連盟が認める公式記録は、3年で失効するらしく、もし今年、4時間を切れないと、「あっ、僕ですか?一応サブ4です。」って言えなくなるのである。ダサい。(実は、2012年も公式記録であるグロスタイムは4時間超えているのだが、自分に甘いので許す。)

結論から言うと、2015年の東京マラソンは、満を持してサブ4を達成することができた。

見よ!後ろの時計は、まだ3時間53分36秒。ムフフ。

見よ!後ろの時計は、まだ3時間53分36秒。ムフフ。

2011年、最初のマラソンでは、スタートからぶっ飛ばし、30kmから、脚が動かなくなり、撃沈。2012年は、同じ戦法で5分05秒/kmのハイペースから突入。25km付近からタイムが落ち、最後は8分台のどん底まで行くも、念願のサブ4を達成した。
2013年は、怪我で準備ができず、惨敗。

転機が訪れたのは、昨年2014年の東京マラソン。調整万全にもかかわらず、直前に風邪をひき、準備不足で出場した。スタート直後から、体は重く、心拍はバクバク。仕方なく、サブ4ギリギリの5分40秒/kmペースで走る。いつもなら楽チンの品川折り返し(だいたい15km)で、既に辛い状況になり、そこからゴールまでは永遠だった。しかし、5分40秒/kmのペースは、それほどキツいスピードではなかったので、30km近くまで、それを維持することができ、その後も大きな落ち込みはなく、何とか4時間4分59秒でゴール。学んだことは、最初は辛かったのに、30km以降も止まることなく、ペースを維持できたということ。サブ4を記録した2012年よりも、35km以降は速かった。

そして、2014年10月に、社員みんなで応募したら当選してしまった大阪マラソン。10月最後の週末といっても、最高気温は26℃の夏日。だから、最初から記録は狙わず、贅沢なLSD(Long Slow Distance:ゆっくり長く走るトレーニング)だと思って、楽しく走るつもりで参加した。スタートから6分台前半/kmのペースで走っていたら、30kmを過ぎてもまだ走れる自分に気づき、最後は5分台前半/kmで走っていた。40km以降のタイムが一番良かったのに驚いた。

それまでは、エネルギーは限られているのだから、体力のある前半にできるだけ突っ込んで、タイムを稼いで貯金を築くスタイルだった。でも、大間違いだった。前半でセーブして、後半にタイムを上げるなんて、怖くてとても信じられなかった。

2015年の東京マラソンの目標は、ずばり!「イーブンペース」。

42.195kmをイーブンペースでサブ4にするには、5分41秒/kmで走れば、3時間59分48秒でゴールする計算だ。それでは、あまりにギリギリなので、少し余裕を持って、5分30秒/kmで走り続ける。そうすれば3時間52分04秒でゴールすることなる。

今回、これまでと変えたことは、3つ。

一つ目は、トレーニングメニューを変えた。トレーニング量は、2014年の時よりも、むしろ少ないくらい。これまでは、レースのペースで走るトレーニングだけだったが、坂道トレーニングや、だんだんスピードを上げるビルドアップ、LSDなど、種類を増やした。11月から1月まで、月100km強を走り続けた。平日は、6kmくらいの距離を週に2〜3回。そして週末には20km以上。12月と1月には、一回ずつ30kmトレーニング。そして、30km以上は一度も走らなかった。

二つ目は、本番前の走行量を増やした。これまでは、1月末まで辛い練習をして、2月になるとパタッとそれを止めた。しかし、それはサボり過ぎだったらしい。過去4回の本番前の3週間は、合計50kmも走っていなかったが、今年はその期間に130kmも走った。もちろんそれまでの月よりも、一度に走る距離やスピードを落として、軽めの調整にしたが、前日まで走り続けた。

三つ目は、レース序盤のペース。それまでのトレーニングから5分30秒/kmで30kmを走ることが、そんなに苦しくないことがわかっていた。本番の体調と、それまでの糖分補給に問題なければ、絶対に35kmまでそのペースで行ける自信があった。それ以上速く入ると、これまでの二の舞なので、とにかく、ゆっくり入ることを心がけた。

レース当日。雨。マジ?僕、晴れメンなんですけど。
5回目にして、初の雨。これまでとの変化点といえば、唯一。社員のMが幸運にも当選して走ったことだ。彼はかつて長野マラソンで雪を降らせたことがある、いわくつきの雨男。強敵だ。

いよいよスタート。小雨の振る中、スタートしたが、それはすぐに止んだ。
晴れメンですから。

昨年サブ4を達成しているラン仲間のA先生とスタートで会い、「最初は5分30秒で行こう」と、お約束。スタートからしばらく、逸る気持ちを抑えて、時計を見ながら、5分半を維持。しかし、トレーニングでも5分15秒くらいで走っているA先生は、しびれを切らして、10km地点で視界から消えてしまった。ついて行こうとも思ったが、ここで飛ばしては意味がないと思いとどまる。遠ざかるA先生の背中はイケていた。

そのあたりから右足裏が着地の度に痛み始めた。違和感はしばらく続いて消えた。15kmからは、時計をほとんど気にすることなく、クルージングモードに入る。沿道からの「スーパーマン!」の声援にも元気に応えたが、「飛べるのに何で走ってんだ?」と言われた時には参った。

一度消えた右足の痛みがハーフ地点の銀座あたりで戻ってきた。そのとき、足の裏の皮がズレている痛みだとわかった。着地の度に鋭い衝撃が走ったが、我慢できなくもない。結局、残りの半分は、ずっとこの痛みと一緒だった。

それ以外は、何も問題ない。というか、こんなに辛くなくていいのか?というくらい、楽しかった。雷門を折り返す28km地点でも、全然疲れていない。そして、過去4回の全てで強烈なダメージを負わされた35kmの佃大橋の坂も、難なくクリア。「何だこりゃ?」である。そりゃ、30kmを超えたら、それなりの疲れはある。フレッシュではないし、今すぐ止めたい。でも、辛くなかった。当初、5分30秒/kmペースで佃大橋までいって、問題なければペース上げちゃおうかな?なんて言っていたが、さすがにそれは無理。豊洲を過ぎて、埠頭エリアに入ると、運河などを越えるために、橋が増え、アップダウンが激しくなるという、後半がドSな設定。そこでも確かに辛いが、なんとかペースを維持できた。

5km毎のラップタイムと結果は、ご覧の通り。
Point  Laptime  Split time (Net time)
05km 0:27:42   00:28:26 (0:27:42)
10km 0:27:39   00:56:05 (0:55:21)
15km 0:27:10   01:23:15 (1:22:31)
20km 0:27:10   01:50:25 (1:49:41)
25km 0:26:50   02:17:15 (2:16:31)
30km 0:27:06   02:44:21 (2:43:37)
35km 0:27:45   03:12:06 (3:11:22)
40km 0:28:07   03:40:13 (3:39:29)
Finish 0:12:19   03:52:32 (3:51:48)

公式タイムでの4時間切りは人生初。
総合順位 6,998位/34,562人
男子フルマラソン6,178位/26,836人
年齢別45歳から49歳まで1,372位/5,590人

5km毎のタイムは最速26分50秒から最遅 28分07秒で推移している。5で割って1kmに直すと、最速5分22秒/km、最遅5分37秒/kmで、見事にイーブン。
5分30秒/kmのイーブンペースなら、ネットが3時間52分04秒のところ、3時間51分48秒。42.195km走って16秒の誤差でゴール。我ながら完璧だ!

沿道の声援は、スタートからフィニッシュまで止むことはなかった。僕の周りで走っていたランナー達は、間違いなく僕と同じか、それ以上の練習をして、この大会に臨んでいる。そんなにたくさんの人が、僕と同じ経験をしていたのかと思うと、走りながら愛おしくなった。

今年の東京マラソンは、間違いなくこれまでのベストマラソンだった。2012年のサブ4も、嬉しいには嬉しいのだが、「なんだ、サブ4ってこんなものなんだ?」という程度。一言でいうと、まぐれのようなもので、自分がコントロールした感覚がなかった。

今回は目的を明確にして計画的に練習をし、戦略を立ててレースに挑み、その通りに走れた。自分ができるかどうかのギリギリなチャレンジ領域に目標を設定して、それをクリアした。計画を立て、準備をし、実行する。当たり前だが難しい。

そして、沿道の応援と一緒に走ったランナーの皆さんが、素晴らしかった。余裕を持って走れたから、それを感じたし、走っていて、こんなに充実した気分は初めてだった。何しろ、元来走るのが大嫌いな人間なのだから。

楽しかった理由。
それは、とっても微妙な楽しさと辛さのバランスの中で、楽しいところを見つけたから。人は、楽チン過ぎるとつまらないし、キツ過ぎると辛くなる。ちょうどいいところがいい。これまでは、事前の練習で培ったものと、本番のスピードやペース配分が合ってないから、辛すぎた。今回は、スピードこそ速かったけど、それが合ってるから、無理はしていない。かといって楽もしていない。そういうゾーンを見つけられた。そして、そこに自分を置けた。そういうことだと思う。

ゴール後、A先生と再会した。10kmから先も快走されたようで、目標の3時間50分よりも遥かに速い3時間43分でゴールしている。お互い充実したレースを走り、健闘を讃えあった。そして、別れ際に、交わした言葉。

「(楽しくって)もう止められないですね?」

2014年 世界と私の出来事

IMG_3676初日の出は小田原で。その美しさは人生ベスト。

IMG_3703箱根駅伝名物、山登りの5区で走り初め。選手のスピードが超人レベルと実感。

IMG_3725その箱根駅伝で、明治大学まさかの総合6位。無念。

mao_asada浅田真央の人生をかけた、ソチのフリーは、今見ても心が動く。

obokata小保方晴子のSTAP細胞がウソだったとは信じたくない。

Exif_JPEG_PICTURETSSに新戦力が4名。これからに期待。

mh370MH370とその乗員・乗客は、今どこを飛んでいるのだろう。

sewolセウォル号の乗組員に未来を奪われた高校生達のことを今も思う。合掌。

robinwilliams-tributeRobin Williamsの笑顔は、もっと世界を幸せにできた。残念。

Cilic of Croatia and Nishikori of Japan hold their trophies after Cilic won their men's singles final match at the 2014 U.S. Open tennis tournament in New York錦織圭がUSオープンの最終日に試合をしていた。夢に違いない。

ice氷水は本当に冷たかったけど、少しは役に立てたのだろうか?

ebolaエボラの感染スピードは落ちたが、感染者2万人。我々は何ができるか。

ontkesan御嶽山の噴火は、僕らが火山の島に住んでいるのを改めて思い知らせた。

kuroda黒田博樹は、男の中の男だ。

hongkong_demo香港の自由は中国に奪われてはいけない。

korea_china韓国と中国のリーダーは日本を貶めることの惨めさとその損得をそろそろ認識すべきだ。

おばあちゃんが亡くなって、あの世はそんなに遠くない気がした。

IMG_4376会社と自分が変わると感じた2014年。待ってろ2015年。

念願の…

なぜ僕らは、オフィスの閉じられた空間で、仕事をしなければならないのか。 快晴の空に、時折吹く心地よい風。天国と勘違いしてしまうような気候でも、日本のオフィスで働く人達のほぼ全員が、室内に閉じこもり、エアコンを入れ、電気を点けて仕事をしている。真面目に働かなきゃいけないのはわかるけど、室内で、と決まっているわけじゃないはずだ。どうしてこんなことになっているのだろう。誰か納得のいく説明をしてくれないだろうか?

確かに、ウチの製造現場のように、室内でしかできない仕事だってある。学校も塾も、勉強をするのは室内だし、仕事で自分のデスクが屋外にある人なんて、いないだろう。だから仕事のベースは、室内でいいと思う。しかし、パフォーマンスのクオリティ、そして、クリエイティビティという観点から考えて、オフィスや会議室に閉じこもっていることが本当に良いのだろうか?

落ち着きがなく、多動性の疑いすらある僕は、オフィスにじっとしていることはできない。そして、いつも自然の恵みをできるだけ享受したいと思っているから、用もなく外に出て仕事をすることがある。しかし、遠くへ行かなくても、実は身近なところに、最高の仕事スポットがあることに、以前から気がついていた。しかし、そこで仕事をするには、若干の「手入れ」が必要で、それが面倒で、少しためらっていた。そして最近、重い腰をやっと上げた。いや、正確には、社員が上げてくれた。

それは、ウチの蒲田本社の屋上である。以前からこの場所は、悩んだ時の考え事をする場所として、はたまた週末限定のオフィスとして、下の階から、椅子と机を運んで、テンポラリーに仕事場として使っていたことがあった。そして、屋上のでの仕事は、いつもはかどった。気温34度の真夏でさえ、風が吹けば、とても涼しく感じたし、3月でも11月でも、太陽が出ていれば、寒さを感じはしなかった。

この5月から、自分のオフィスが、屋上と同じ階のフロアに移ったことを受けて、若い社員達に、この屋上をオフィス兼、会議室兼、ビヤガーデン会場にしたいので、DIYで作ろうと、ほぼ本気(ちょっと冗談)で言っていた。そしてある朝、屋上に行ってみると、こんなセットが完成していた。その社員が「材料代より安いので、できあいのものを買ってきちゃいました!」と言って組立式のものを本当に買ってきた。
確かに、これ全部で29,000円は安いが、その値段よりも、本当に買ってくる行動力に驚いた。

ついに屋上がカフェテラスに!

ついに屋上がカフェテラスに!結構いいでしょ?

そして、実際僕は今、この文章をその場所で書いている。6月4日。現在の気温は30度。太陽が照りつけて、暑いことは暑いけど、時折吹く風が、冷房の百万倍心地よい。まだこのテラスセットが来て一週間だが、僕は、仕事をここでするし、打合せもここでする。昨日は、弁当を買ってきて、ランチをここで食べた。

テーブルと椅子だけでは終わらず、これから屋上をどんどんとアップグレードして、社員の憩いの場になるようにしていこうと話をしている。手始めは、夏のビアガーデンと思っているが、席とテーブルが足りないので、悩み中。

具体的な数値を挙げて、屋上が、どれだけクリエイティブで生産性が高いかを示すことは今のところできないし、これから先もしないだろう。でも、晴れた日に、パラソルの下でするミーティングや考え事が、とてもクリアなマインドでできることを知ってしまった。だから、この場が、少なくとも僕にとって、判断基準の質を上げてくれてることは間違いない。